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投稿日:2014年05月30日

2014年05月30日

一昨日、入院をした日に受けた事前検査のレントゲンで気になる影があると言われて、昨日はCT検査を受けたのだが、昨日の夜になって左の胸に腫瘍があるようだという説明を受けた。

来週からの血液の治療は一旦白紙になった。

えぇ…⁈

自覚症状もなく、まさか腫瘍があるだなんて。そんなことは思いもしなかった。血液の治療を受けるということでようやく気持ちもその方向で整い、それなりに平穏な心を取り戻せてきたかなぁと思っていた矢先だったので、腫瘍と言われて先生が去って行ったら、一人ベッドに座った狭いその空間がとても広くて寂しい場所のように思えてきて涙が溢れてきた。

今朝の採血は沢山の本数の試験管だった。何を調べるのかなぁ。だけど少なくともネットで自分で検索をして調べた結果よりちゃんとした状態がわかることだけは確かだ。

午後、友人のTちゃんが訪ねてくれた。Tちゃんのご主人も血液難病で闘病中。旦那様は今はバリ島にいらして、西洋医学とは違うアプローチで養生されていて、7月に検査でまた帰国予定なのだそうだ。私も西洋医学とそれに加えた東洋医学であったり、もっと自然界の大きな恵みの力の必要さを感じている。バリでの静養生活はきっと身体にいいと思う。3月にパラオからオーストラリアまでの船旅のお仕事に出た時に、確かに広い空と海から大きな力を感じたからだ。

担当医の先生からは、来週CTガイド下生検をやりましょうとお話があった。CTを受けながら場所を特定し、麻酔をしてそこから針を刺して腫瘍の一部を採取するらしい。そこで腫瘍を特定してまず治療を考える。とのことだった。

血小板減少で入院をせざるを得ない状況で、腫瘍が見つかる。自覚症状もない状態でこうなったことが、何かの導きなのか単なる不幸なのか今はわからない。でも生きることを前提にまだ周りは動いてくれていることだけはわかる。

今の私は、身を委ねてシンプルな頭でそこに乗っかること以外何があるというのだろう。

心を平穏に。

雲を払っていけば、変わらずいつも青空がそこにはあるのだ。


投稿日:2014年05月29日

2014年05月29日

昨日は骨髄検査と血液検査、レントゲンと心電図があった。骨髄検査は3回目。入院したら何かしらの針を刺されるのがフツウのことになるのだが、この骨髄穿刺は家にあるドライバーと同じくらいの太さなので、やっぱり怖いのだ。

私はネジ。

いや、ネジを入れられる板か何か。

板はうつ伏せになりながら思う。

ここはひとつ、研修医の先生じゃなく慣れた先生にお願いできませんか。お願い。

ミシミシ…。

ドリルが入って行く時は毎度音がしそうだ。

背中の上で聞こえてくる先生のレクチャーの会話が不安にさせる。途中で研修医の先生は降板となり、その後はちょっとホッとしたが、やっぱり練習台になるのは嫌なのだ。痛い検査は“早く終わってほしい…“といつもそのことばかり考えて耐えている。

骨髄検査の結果は前回と同じような状態、なので治療を進めていく予定ですということだった。

レントゲンでは左肺に影があるということで、今日CTで再検査を受けた。三月に飛鳥の船上で胃炎になった時に、レントゲンにてチェックが入った影のことみたいだ。4月に胸部外科で診てもらった時は多分問題ないでしょうと言われたのだが…。

昨日はやはり第一選択として、去年秋に受けたATG療法をまずやる方向で、という話をされた。それまでに検査を進めて、問題なければ来週月曜日から個室に移ってのウサギさんの血清を使った治療を受けることになる。

入院治療の目安期間は約3週間ともらった予定表には書いてある。

予定通り順調にいきますように。

青あざは日が経つとイチジク色にかわる。見た目、ひどい打撲の痕なのに、ぶつけた記憶のないものが多く、痛みもない。時間があるので手をあてて、治れ治れとおまじないをする。

今週は治療が受けられる状態かの検査になりそうだ。


投稿日:2014年05月27日

2014年05月27日

明日から入院することになった。

昨日の外来で白血球数が2.2。血小板は8000まで減っていたので危険レベルということで、ベッドが空き次第入院と言われてしまった。

暫定的な処置として輸血と血小板輸血を受けて即日入院はなかったので、リハーサルには間に合わなかったが夜は予定通り「失速バンド」イベントでブルースアレイのライブに参加をした。

音楽の場所に居ると、「私、本当は病気じゃないんじゃないかしら」と思う時がある。色々な意味で救われた昨日のライブだった。

この一ヶ月は毎日のように青あざが出来るようになっていた。軽くぶつけただけですぐに青あざが出来る。血小板が減ってきたなという嫌な予感は当たって、それが日に日に悪くなっていった。ぶつけた覚えもないのに青あざが出来る。誰かにひどく殴られたような感じになっていて増え続ける青あざが恐怖に変わった。

まだ頑張れると思える日と、もう疲れちゃったなぁという気力を失う日と。

ここまでだって、決して強い人間として病気に向き合えたわけじゃない。いつも「あともう少しだけ頑張ろう」の連続でなんとか乗り越えられただけで、心細さの方が自分の中を占めてきた。

去年の秋に受けたATG療法。一瞬効果が出たあと一ヶ月後にはまた白血球の中のT細胞が異常細胞に変わっていた。2回が限度の治療みたいなので、次が最後のトライになるが他に方法がないならやるしかない。

なるべく雑念や不安にとらわれる時間を少なく出来たら。と思う。

また元気になって帰ろう。

ダンボ、またしばらく会えなくなるけれど。

どうかキミが元気で穏やかに毎日を過ごせますように。

また会おうね。


投稿日:2014年05月16日

2014年05月16日

少し前に頼んでいたカーテンが届いた。

今の家の窓のサイズが、全て前の家のサイズと違うので少しずつ整えて行きたいなと思っていて、3ヶ月程探して見つけた。以前から遮光カーテンは好きじゃなかったので、全部閉じても光が感じられるタイプのものを掛けていたが、結局部屋によっては閉めることがなかった。じゃぁと試しに今の家ではベランダに面した部屋はレースカーテンのみで過ごしているところだ。

レースカーテンは遮熱効果や遮像効果がなくても、ボイルカーテンが好き。

ボイルカーテンの方が布地の感じが好きかなぁ。

20代の頃、あるお洒落なおねえさんがよく言っていた。

「大好きなものが見つかるまで、買わないの」

「大好きなものに囲まれて暮らしたい」

そんな発想はその年齢になるまで一度も触れたことがなかったので、”大好きだけど高いからやめておく”というのが当たり前になっていた私にとっては驚きだった。だが彼女が口にしていたことはその後の私に大きく影響を与えたように思う。あくまでも身の丈にあった「大好き」の範囲ではあるが、好きな物に出会うまで買わない暮らしをするようになったと思う。

カーテンは部屋のタッチを大きく左右するもの。

一部屋分はこれでなんだかしっくり収まった。

あとはまだサイズもちんちくりんなままで発展途上中。

片窓ずつ違うカーテンを下げるもよし。

自由な発想で「これ、いいかも!」という出会いがあったら、その時が買い時。

いいなぁ。網戸の季節は。

は〜〜ふぅう〜〜〜。

深呼吸するようにカーテンが揺れている。


投稿日:2014年05月01日

2014年05月01日

今朝のニュースで、27年度限りで学校で行われる健康診断のうちの「座高測定」と「ぎょうちゅう検査」が廃止されるということを知った。

率直な感想は、この「座高測定」「ぎょうちゅう検査」という二つの言葉、私の生活の中からすっかり消えていて、すんごく懐かしい単語を久しぶりに聞いたという新鮮な気持ちとなったのだった。

みんな座高が高く出るのを嫌がっていた。

ちょこっと猫背になって座ってみたりして、なんとか少しでも”足が長い”結果を得ようとしたものだ。

私は「吉川」という名字のおかげでクラスの女子の中でも一番最後かもしくは最後から1〜2番目という並び順で、運動靴に白いグンゼのパンツ一丁というあられもない姿ですぐ後ろに次のクラスの男子が並んでいるのがすごくイヤだった。小学校低学年であっても”私は、女の子なのよ!”という自意識があったのだろう。キムラさんやオカモトさんだったら別のクラスの男子が後ろに並ぶことはなく、五十音順の最後に来る名字は不幸だとそのときはよく思ったのだ。

<結婚するなら、カ行かサ行の人>

私が結婚相手として設けた基準は名字が五十音順の早めの人、であった。

愛でもなく、お金でもなく、名字が全てだった。

今も五十音順の最後の方の名字の女子は辱めを受けているのだろうか。座高測定だけでなくこちらについてもちゃんとケアをお願いしたいのだ。

そして「ぎょうちゅう検査」については、まだそんな検査が行われていたのかとちょっと意外だった。あれは私が子供の頃は、衛生環境がまだ今程よくはなっていなかったので必要だったかもしれないが、今はお腹に虫がいる子供なんていないんじゃないかと思う。

私自身は2回ぎょうちゅう検査でひっかかり、先生に呼び出されお医者さんへ行くこととなった。

黄色い割りと美味しいラムネみたいな薬を飲んだ記憶がある。

犬の散歩で父と妹と3人で、堤防を歩いていた時に急にウンチがしたくなり、土手でウンチをしたら白くて長い虫が出て来てビックリしたことがあった。

これは幻。

信じたくない気分と恐ろしさでいっぱいになって、ウンチに振り向きもせずに、「パパー!」と叫んで父と妹のところに走って行ったのを覚えている。一体どうしてあんなものがお腹の中から出てきたのか今でも私としては理由がわからないし、自覚症状も全くなかったのである。

ぎょうちゅう検査は、やっぱり廃止じゃなくて残しておいた方がいいかもしれないなというのが私の意見なのだ。