ホテルのチェックアウトを済ませてから、祐民子ちゃん達には京都で待ってもらって実家の父に会いに行ってきた。
本当は今日はみんなと京都で別れて、私は大阪に一泊して一日ズレて帰るつもりだったが、ゴン太のことがあったので予定を変更してみんなと一緒に帰ることにしたのだった。
一人で帰るのが心細かった。
一緒に帰りたかった。
数日間の旅でいろんなことを共有したような気がする。それは出掛ける前に想像していたよりも、ずっと中身も濃く大きいものだった。
写真もたくさん撮ったが、脳裏に記憶された一瞬の枚数達もとても多い旅になったんじゃないだろうか。一日前のことがもっと前の出来事のようにも思えて、多分年月が経てば経つほど、いい旅だったとかみしめるような気がする。
大津のサービスエリアは薄曇りの晴れ。
休憩時間、ベンチに座って祐民子ちゃんは琵琶湖を眺めていた。今日は「琵琶湖ってこうして見ると海みたいですね」と景色に感動している旅のヒトの顔だった。
高速は特に渋滞もなく、途中何度か休憩をはさみながら、東京には夜の10時頃に到着をした。
一番近い祐民子ちゃんの家の前に車が着くと、「ニャー」と声がした。2匹居るうちの、外に出たがる方のネコちゃんだった。
ニャー。
少し離れた場所まで近付いてきていて、「おかえり」と挨拶をしていて、”あぁ、このネコちゃんなんだ”ということがわかった。金沢に出発をした日、東京はその夜台風で暴風雨にひどく荒れていた。祐民子ちゃんはこの外が好きなネコのことを”大丈夫かなぁ”と心配していた。留守の間このネコを家に閉じ込めないで自由にさせてあげたいと思って外に出したものの、やっぱり自分の選択が正しかったんだろうかと振り返った瞬間はあっただろう。
はじめまして。
元気にしてたんだね。
「ニャー」とだけしか言わないが、そこに座っているネコちゃんを見たら嬉しくなった。
自分は帰ったら亡くなったゴン太の姿を見るのだろう。だがこの悲しみを祐民子ちゃんは、台風の日に疑似体験をしていたのだ。だから、ニャーと鳴く姿を見ると本当に嬉しかった。よかったよ、キミはそんなことも知らないだろうけど。はじめましてのネコちゃん。
お疲れ様でした。
一緒に旅をして本当にいい時間を過ごせた。
音楽の旅、出来たね。
いろいろあって、いろいろあったけれど楽しかった。
祐民子ちゃんと別れて、私も家に送ってもらう。
「ただいま」
ゴン太は最近気に入って寝ていた方のかごの中、タオルに包まれて眠っていた。
ゴン太の体があったかいような気がした。
抱くと動いたような気がした。
そんなはずはもうないのに。
眠っているような顔で、だけど目と口がギュっと閉じていて、それは眠った顔のゴン太ではなくチビ太が亡くなった時と同じ閉じ方をしている。ゴン太が亡くなったことをそれで現実のこととして確認したのだった。
ダンボがいつものように飛びついて来る。
ただいま、ダンボ。
チビ太が死んだ時と同じように、椅子にゴン太を寝かせて自分のベッドの横に置いた。頂いたお花がたくさんあって、それをゴン太の周りに添える。チビ太が亡くなった時も頂いたお花がたくさんあって、それも一年前と同じだ。
ごめんね。ゴンちゃん。
小さな頭だ。
年を取ってきてからは、あまり触れなかった。撫でたり、抱っこをしたりすると人間の手の重みが負荷になるかもしれないという風に思うようになっていて、昔のようにムンズと掴んだり、軽く触るということが出来なくなっていた。
ゴン太の頭。やっと気にせず撫でられる。
自分の触りたい気持ちで撫でられる。
今日は本当は私にとっての夏休みだった。一日、全部のことを置いて好きに過ごせる日として、めずらしく「この日は休みにします」と伝えていた日だった。
この姿のゴン太と過ごせる最後。
だから今日はもう何もしなくても大丈夫。
一緒に居させてね。
キツネみたいな顔になったゴン太だった。
星になったの。
何になったの。
私が居ない間にゴンちゃんは楽しい姿だけを思い出に、苦しいとも痛いともその姿を私に見せることもなく、もう二度と目を開けてはくれないゴンちゃんになった。