シスターカヤさんのイベントで、東京タワーすぐ近くのザ・プリンスパークタワー東京に行った。
この辺にはほとんど来ることがない。ここにホテルがあることも初めて知ったが、2年前ぐらいにリニューアルオープンしたばかりのまだ新しいホテルなのだそうだ。
私は未だに「東京っぽい所」に来ると興奮をする。東京タワーはまさにその最たる所。なんだか遠い街に旅行に来たようなワクワク感に包まれるのだ。
「ヤッホー」
カヤさんの控え室は丁度タワーが見える絶景の位置。都内のこんな場所にこんなに広い敷地の場所があっただなんて知らなかった。
温泉に行きたい!
旅行に行きたい!
夏から「じゃらん」のページばかり見に行ってホテルや旅館をいっぱい見てきたが、この部屋は家具もベッドも落ち着いていてとっても気に入った。
早速写真を撮りまくる。
アメニティグッズの充実は女性にとって恐らく一番のチェック項目。アロマボディソープや入浴剤も非常に充実していて、かつこの部屋はお風呂以外にシャワールームもある素晴らしいお部屋だった。
ところで。
今日は旅行で来たんじゃない。
だから
探検はコンビニまで、ね。
リハーサル帰りにコンビニを見つけてサンドイッチを買う。子供の頃はホテルに来るとゲームセンターの有無が一番の気になるところだったが、今はコンビニの有無が一番気になる。で、コンビニがあれば結局はどこに行ったとしてもそれでよくなるのだった。
リハーサルが終わると、もう一部屋の控え室で私はお風呂に入った。
だって。
綺麗にしていかなくちゃね。
かつて私はホテルに演奏をしに行っていたこともあった。そしてその内の一軒から「もう少し綺麗にしてきて欲しい」とクレームが来たことがあり、当時はその意味がわからず「これ以上綺麗に出来ません」と答えてクビになった経緯がある。
そうですね、今はエチケットとしてホテルの中ではそういう面も気を使わないといけないです。
若くピチピチの頃と違い、今は小汚くすれば本当にみすぼらしくなるのが自分でもわかるようになった。
イベントでの演奏が終わったのは10時ぐらいだったろうか。主催者の方から今日の宿泊の部屋をそれぞれが頂くことになって、カヤさんは帰られたが食事会に参加した私は宿泊組となった。
シャワールーム付きのリッチなツインルーム。
都会のビルの明かりが部屋から見えて、お洒落度満点の夜。
今からワタシ、何をして過ごしてもいいんだわ。
で、何しよう。
コンビニにもう一度行った。
「きのこの山」チョコスナックを買って帰る。
ポリポリ。
シーーン。
あと、何しよう。
もっかいお風呂でも入る?
お腹空いたなーー。
お洒落な都会の夜に、一人でポツン。
結構、さびしいもんだわね。
結局家が恋しくなって、チェックアウトをして夜の3時頃にタクシーで家へ帰ったのであった。
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2007年09月29日
南青山マンダラにて、服部祐民子ちゃんライブ。
ライブハウスは地下にあることが割と多いのだが、この南青山マンダラもそう、店の入り口を入るとすぐのところに階段があるという造りになっている。控え室が上にあって下にステージがあるので、何度か行き来をするのだが、階段の前に立つと「あぁ、昔ここでライブをさせてもらった時には、そんなこと気にもしていなかったなぁ」と、ちょっぴり昔を振り返る。
今日のマンダラはグランドピアノが置いてある。鍵盤が少し古びていて使い込まれた跡があって、子供の頃発表会で弾いたピアノもそんなピアノだった。以前は鍵盤が重く感じていて、自分のライブの時では生ピアノを使わなかったが、去年祐民子ちゃんのライブの時に恐々座ったら印象が変わっていた。
サウンドチェックまでの時間、祐民子ちゃんはギターの弦を張りかえたり、unnoさんはトランペットを取り出して準備をしている。ピアノの場合はピアノの音を拾うマイクを立てる位置の確認があるので、自分が呼ばれたら試し弾きをする。
「ねぇねぇ、緊張したりする方?」
unnoさんに質問をして、そこからそんな話になる。昨日の西川さんのリハーサルでも初対面同士のミュージシャンの会話を耳にしていたが、音楽をやっている人達の間では不思議とライブやレコーディングで一度一緒に音を出すと、その後は知り合って間もない感じがほどける感じがある。unnoさんとも今日が会って3日目なのに隣りの席に座っていても何の違和感もなくて、なんだかそういうのっていいなぁなんて思いながら座っていたのだった。
「ねぇねぇ、unちゃん」
祐民子ちゃんはもっとunnoさんに対してリラックスしている。”とってもかっこいいトランペットを吹くんですよ〜”と、まだ見ぬ”unちゃん”の話をよくしてもらっていたっけ。あれで私の人見知り期間を随分ショートカットしてもらったのだ。
4本のライブの今日が最後。
歌を作って歌う人の心の置き処に私は一番興味がある。知りたいと思う。
多くの仕事は、時に駆け引きをしたり自分を守ったりやりすごさないといけない場面がある。それを何とも思わなくなったりすることで自分のバランスが取れていく人、そこで葛藤に陥ってバランスを失いそうになりながらなんとか頑張っている人、音楽は気持ちの仕切り直しに時々必要なものになっている。人は軸足はどちらかに置いていても前者も後者もどちらにでもなり、ついでに矛盾や辻つまの合わないものもたくさん抱えている。
いい人間に、完成された人間になることはないと思うが、時々清らかな自分に戻らなくちゃやっぱりだめだと思う。
彼女がギターで一人で始める今日の「幸せになりたい」は予定よりも長い曲になった。
自分の音が出るところまでの間、泣けてきてしまった。あぁ、困ったな・・・。お客さんで来ているんじゃないんだから、やっぱりそういうのはよくないな・・などと曲の中で心が揺れたりしていた。
「歌を歌うのが大好きなんです」
祐民子ちゃんからそういう言葉は一度も聞いたことがない。
そこが好きだ。
歌を歌い届けようとする姿に、私は横で一生懸命になれる。
初めてライブを見た日。
初めてのリハーサルの日。
そして今日も。
私は歌を聴いて結局泣いた。
清い水が自分の中から溢れていった。
2007年09月28日
高田馬場にて、西川峰子さんのライブリハーサル。
懐かしの街、高田馬場。
思い出の街、高田馬場。
私は昔パチンコにハマっていたことがある。
つい熱くなって、「出るまでやめない」という馬鹿な打ち方をするタイプだった。そしてこの高田馬場は私にとって惨敗の街になるのだ。
彼氏とデートした、とか。
彼氏が住んでいた、とか。
そういう思い出はない。
だって、そもそも高田馬場に知り合いは居ないのだ。
一人で出掛けて一人で帰って来ていたので、一言もしゃべっていなかった。
お久しぶりデスー。
パチンコはある友人に一度喝を入れられて、その話が私にとって大変わかりやすい正論だったので、それでもってピタっとやめた。10年ぐらいやっていた気がするが、今は前を通っても「パチンコ屋さんがあるなぁ」程度の関心になったのだ。
高田馬場は卒業した母校に、ちょっと大人になった戻ってきたような感じがする。
先生、お元気デスカ。
今は毎日仕事頑張ってます。
懐かしの街、高田馬場。
いっぱい授業料を払って、私は大人になった。
2007年09月27日
服部祐民子ちゃんのライブ最終リハーサル。
UNNOさんも加わった女性3人、祐民子ちゃんはこういった編成でやるのは初めてだそうだが、私も初めてだが音出しはとても楽しい。それぞれの楽器の担当音域が自然にお互いにないところを担える形になっていて、面白いアンサンブルになるなぁと思う。
たくさん一緒に練習が出来て楽しかった。
裏側の祐民子ちゃんも、あの歌の中に居る祐民子ちゃんと何も変わらなかった。
音楽をやる元気をたくさんもらった。
歌からも。
人からも。
一緒に時間を費やす相手は、
やっぱり正直な人がいい。
音楽をやる場所ということ以上に
裸の心で居られる場所だった。
今日はリハの途中から体の調子が悪くなった。
しばらく経てば復帰するつもりでいたが、どうも具合が戻らず、最後だというのに別れ際笑顔で手を振れなかった。
明後日までに、整えられるように。
日が沈むのが早くなった。
今年の9月はなんだかとても短く感じた。
2007年09月26日
昨日、小泉さんから最終オーケーの音源を送ってもらった。音の構築やサウンドや音から感じられる匂い、小泉さんの「春」が出来上がった。
とても私はこの小泉さんアレンジの「春」が好きだ。
忙しいスケジュールの中、時間を割いて作業をしてもらって申し訳ないなぁと思いつつも、本当にいいものに仕上げて頂いた。こうして仕上がった音を聴くと、このあと色の違う1曲1曲が並んだ時に上質な一つの音楽アルバムとなるように、頑張らなくちゃとあらためて思ったのだ。
「取りに行きます!」
CD−Rに落とした音源を今日は受け取りに行った。
今日の小泉さんは午後から杉真理さんと松尾清憲さんのライブリハーサルが入っているが、そこにお邪魔させてもらった。
小泉さんも一つ何かが終われば、すぐに次の場所が待っている。
今日はリハの初日ということだったが、リハまでに準備しなくちゃいけないことや他の仕事もあったはずだが、並行してやっていた「春」の作業は一つ終わった。
CDーRを受け取ると、重みを感じた。
ありがとう、小泉さん。
自分はこの続きを頑張ることだ。
ただ頑張るということは簡単で、何を優先にしてどこに踏ん張りをかけて頑張るのかということをブレずに積んで行くことこそが難しい。
目に見えないものだから難しい。
今日の頑張るぞは小泉さんからもらった。
受け取った音源が早く聴きたくて、チョイノリを運転しながら鳥になったみたいだった。
2007年09月25日
犬のダンボは最近、気持ち悪い。
以前にも増して、人の体をペロペロと舐めるようになったので、来客者があればスキを見てペロペロしに行き、私と居る時は私にペロペロ。毛づくろいはいらないよと何度も言うのだが、現在彼は人間なら誰でもいいからペロペロさせてくれ!という状態なのだ。
「もう、だめ!」
だめと叫んで睨んでいる時だけやめる。
だが、ずっと睨んでいるわけにもいかないので、またパソコンや機械の方を向くと、”だるまさんがこーろんだ”の遊びのようにまた近寄ってくる。
「もう、やめて!」
一瞬、離れて・・・。
私が首を戻すと、ペロペロの続きを始めるのだった。
お前の餌はそんなに塩分が少ないのかい。一箇所だけでなく、ある程度舐めた場所は彼の中では制覇した場所となるらしく、次のエリアに移動をしていく。まるでそれは塩分補給をしているかのようなのだ。
気が散る。
どうしても慣れることが出来ない。
ダンボは途中で燃えてきて、フンガフンガと言いながら更に舐めるのだが・・・・。
ある来客は、舐められて「うふっ、気持ちいい」と言っていたが、私はそういう気持ちにはなれない。逆に犬と二人きりでいて「うふっ、気持ちいい」ということになるもの怖い。
蚊よけスプレーのように、何か塗ったらあきらめるかと思ってボディローションを塗っても効果なし。親愛の印ならもう十分だよ。
ぴょーん。
”まだ顔を舐めてなかった!”
お願いだから来ないでおくれ。
全身にカラシを塗るしかないのかもしれない。
時々、彼は箸休めに自分の体を舐める。
自分のおちんちんを舐めたあとにまた気を取り直して、こっちを向く。
もうやめてよ。
気持ち悪い。
人間で言えば30代のダンボ。
犬も変態化するお年頃なのである。
2007年09月24日
レッツ メキシカン!
オーレッ!
服部祐民子ちゃんの今日は全体リハ。終わってスタジオを出たすぐのところにメキシコ料理店があったので、食事と打ち合わせをここでしようということになった。
レッツ メキシカン!
ビバ!メキシコ!
「メキシカンの店」と言えば、陽気でラフなイメージがある。実際にはじめて私がコロナビールを見た店は、店内が活気のある所で、別の店ではポンチョを着た「サボテンブラザーズ」みたいなおじさん達がミニライブをしたりもしていたのだ。
サボテン、コロナビール、タコス、トルティーヤ、ポンチョ、ギター・・・。
簡単な単語しか浮かばないが、まぁ一緒に居るみんなも同じだろう。
なので。
レッツ メキシカン!
みんなでゾロゾロとその店のある2階へ上がって行ったのであった。
だが。
「いらっしゃいませ」
あれ、ここは・・・。
店内に入ると、そこはメキシコ宮廷料理店とまでは言わないが、限りなくフランス料理店に近いメキシコ料理店だったのだ。上品に音楽が流れ、椅子はフカフカ。お客さんも音楽に合わせて踊り出すような人達とは思えないちょっとハイソなマダムだったりして、私達5人は店のムードとはマッチしていないお客であった。
「えっと、何にしようか」
メニュー自体がまず重たい。
高級フレンチレストランに置いてあるようなメニューを広げたが、私には何がどういう料理なのかがわからないので、ほぼ見ているフリだけで頭には何も入ってはいないのであった。
いや、みんなそうだっただろう。
メニューを見ながらちんぷんかんぷんな顔をしているので、思わず吹き出しそうになったのだ。
いかん、いかん。
私らも「えぇとこのボンとお嬢」。
こういう場所でも対応出来る。
はず。
上品なトルティーヤをみんなでつまみ、一枚ずつチップスを上品に食べ、小さな声で上品に打ち合わせをした。
ビバ!メキシカン!
レッツ!メキシカン!
今日はリッチなメキシカンディナーを食した。
みんなおりこうさん。
やれば出来る!
静かな関西人が居るのと同じように
静かなメキシコ料理店もある。
遊園地かどこかの変わったアトラクションに、みんなで行ったようであった。
2007年09月23日
浅草のアサヒアートスクエアにsmall colorのライブを観に行った。
small colorはtorico!の良原りえちゃんとギタリストのオオニシユウスケさんのユニットで、今やっている自分のレコーディングで丁度今作業をしてもらっているところなのだ。
最初はりえちゃん一人にお願いをしに行って始まった「ロンドンデリーの歌」。その後オオニシさんにもお願いをして参加してもらえることになったので、今日は後で挨拶に行くねと言っていたのだった。
アサヒアートスクエアは横に広くゆったりとしたホールで、9月最初に行った21世紀美術館のシアター21のホールと空気感が似ている。天井が高く白い壁の落ち着いた空間だ。
small colorは実際にその場で音を出しながら、一曲の中でそれを重ねて行きスライド映像と共に一曲の世界観を見せてくれるライブをする。ギターと鍵盤楽器の二人だけで「色」「匂い」「空気」・・・。スピーカーはどこにでもある普通のライブセットでありながら、音が前から聴こえてくるということでなく360度で音楽に包まれる感覚になる。
演奏中、後ろの席で赤ちゃんが泣き出した。
困ったお母さんが多分赤ちゃんを連れて外に出ていった。私は振り返らなかったが、赤ちゃんの泣き声がゆっくり左の方から後ろを通ってそして遠ざかって行った。
誰もが聞いた演奏中の赤ん坊の泣き声。
だけど、それもSEのように聞こえた。
いいなと思った。
ステージ上の二人も、演奏中に赤ん坊の泣き声を聞いただろう。
かすかに耳を傾けたあと、二人はまた目の前の楽器に意識を戻す。そこでその時に起こる出来事も、その日のライブの一つの音として拾い上げて一緒に観せてくれた感じがあって、私にはそれがなにより印象的だった。
たゆたう。
そう、今日はたゆたうという言葉がぴったりの時間だ。
とてもいいライブだった。
2007年09月22日
たまプラーザにSHIMEさんのソロライブを観に行った。
以前、自分のレコーディングで「語り」を入れてもらったSHIMEさんに、今作っているアルバムに参加して欲しいとお願いをしていたので、今日は選曲の相談も含め出掛けて行ったのだった。
一番最初にお仕事をしたディレクターさんが、よく言っていた。
シンガーソングライターという歌を歌う人と、ボーカリストという歌を歌う人、歌を歌う人には2種類あるのだと。
誰のどんな歌を歌っても、その声が歌が圧倒的に真ん中で存在する。SHIMEさんは、いつか一緒にやれたらいいなと思っていた「ボーカリスト」の一人だった。
歌う場所があればどこでも歌う。ギター一本持ってアメリカを放ろうしながら歌を歌っていたSHIMEさんだ。自分で曲も書くが、それにこだわらずボブディランやジェームステイラー、エリッククラプトン、誰もが知っている名曲も何でも歌う。
今回のカバーアルバムは、まだボブディランもクラプトンも生まれていない頃の曲の選曲となるので、今日はいくつかの候補曲を相談しつつ家でもう一度考えることにした。
「思いっきり違う風に料理してよ」
SHIMEさんはSHIMEさんで、自分には出来ないことをやりたいと言う。今の私と同じだ。
どんなことをしようかな。
SHIMEさんに関しては、自分の持っているSHIMEさんのイメージから、ハーモニーの取れるアコースティックギタリスト3名で出来たらなぁというのがあったが、話をしているとギターから思い切って外れるのもいいかなとも思えてきた。逆にSHIMEさんの興味はそっちにあるような感じだった。
冒険したいSHIMEさんと、冒険したい私。いずれにしても、SHIMEさんのボーカルをもらって、今度は自分の引き出しにあるもので一曲仕上げるのが、SHIMEさんとのコラボになりそうだ。
たまプラーザに来たのは久しぶりだった。その前に来たのはもう15年以上前、デビュー直前のことだったような気がする。
駅前ってこんなだったっけな。
まだ音楽をやってるんだなぁ。
あの頃はまだこっちに音楽仲間なんて一人も居なかった。
久しぶり、たまプラーザ。
そう言えば坂が多かった。
あれから私もいい音楽仲間にたくさん出会えたよ。
2007年09月21日
本日リハーサル。
祐民子ちゃんとリハーサルをしているスタジオは、スタジオのお兄さんの対応が親切だ。やっぱり気持ちのいい対応をしてもらえるところがいい。ここは今回初めて行くようになったところだが、最初の頃に”どんなところかなぁ”と様子を伺っていたのがもう最近ではすっかり二人してリラックスして居られるようになったのだ。
今日は東京メニューの新曲を中心にやった。
まず最初は一度好きにやってみて、そこから修正案をお互いに出し合う。ギターの入るところをどのポイントにしようかと打ち合わせしつつ、あとは細かいコードの音合わせをする。
ライブ後半でやる予定の「盛岡」の構成はもう祐民子ちゃんの頭にあったみたいで、祐民子ちゃんのアイデアですぐに構成が決まって、あとはゲストのUNNOさんが加わってのリハを残すだけとなった。
「もう来週ですよねぇ、ライブ。」
そうか、もうそんな時期なんだ。
今年は9月が過ぎていくのが早く感じる。
帰り道、5月に家にやってきた原付が今日の帰り道のどこかで、記念すべき1000キロを迎えた。
原付も一緒にリハに通った仲間だ。
譜面を後ろのカゴに入れてブーン。
帰りの裏道もだいぶ覚えて。
夜になると風が冷たいなと感じるようになった。