高校の頃、私はバドミントン部のマネージャーをやっていた。中学の時のバレー部がキツかったので、高校に入ったら絶対にブラブラするぞと決めて、本当に何にも活動をしない放送部に籍だけを置いていたのだが、ある時「めっちゃ暇やし」「何にもせんでいいし」「頼むしやって」と仲のいい友だちに頼まれて、「ほんまに何もしなくていいんやったら」と渋々入部したら、高校女子運動部の中で一番練習のキツいクラブだったのだ。
<お、おのれ。だましたな〜〜>
体育会系のクラブというのは、一度入ったら基本的に辞められない。なので結局卒業まで私はバドミントン部に所属してみっちりクラブ活動に従事することになったのだった。
バドミントンはそれまで気楽なスポーツだと思っていた。軽いラケットに軽い羽根、別にプレイ中に叫んだりもしない。イメージとしてはテニスの楽ちん版、コートの中をヒラヒラ飛んでいる蝶々という感じがあったのだ。
ウチのクラブはマネージャーも選手同様の基礎練習をする仕組みになっていた。理由は一年生を教えることもマネージャーの仕事のうちだったからで、練習は選手とほぼ同じ内容、違うのは試合には出ないという点だけだったが、練習してみて初めてバドミントンが相当の運動量が要るスポーツだということがわかったのだ。
先輩は普通にプレイをしていて靭帯を切ったし、そういうことは別に特別なことでもなかった。
ウチの部にも大阪府の大会でベスト16までに残れるメンバーが居たが、大会に行ったら格が違う強豪校はあった。四条畷学園だ。ここの選手は別格、他校の選手とは全く動きも違い、一目で「わぁ、強い」とわかる。何か俊敏な動物のようだった。
「オグシオ」で注目を浴びるようになったバドミントン。
うんと昔にだがバドミントンをかじった私だが、認知度が上がると少し嬉しい。
<イチ、ニ、サ〜ン>
後ろに下がる時のステップはこう唱えながら。
シャトルを前に前にと打って。
いつかすっかり辞めてしまったけれど。
バドミントンか・・・。
あの頃はニキビが悩みだった。
いつの間に時は流れたのだった。