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投稿日:2011年02月01日

2011年02月01日

駅にあるエレベーター。
閉まるのが遅いのと、閉まってから動き出すのもちょっと遅い。
なのでエレベーターに乗った人間と乗れなかった人間とが、数秒の間目を合わせるということも割とあるのだ。
乗れなかった側に立った時、私は「今だったらまだ開けられるんじゃないの?」という気分になり、ちょびっと期待をかけるのだが、だいたいそんな時は2秒後ぐらいにゆっくりとエレベータは動き出すのだった。
<ちょっと!見捨てて行ったわね>
<なにさ!この裏切り者!!>
そんな時はエレベーターに乗った人間達に見捨てられたような気分になり、恨みの目つきで睨んで見送っている。
が、逆の立場に変わった時はおかしなもので考え方は変わる。
ゆっくりエレベーターの扉が閉まり、さぁ今から動き出すぞという時になって、恨みの目つきでこっちを見ている人が居る。
<今ならまだ開けられるんじゃない?>
無言のお願いを扉の向こうでしているのだが、今「開」のボタンを押しても、もう遅いタイミングなんですよ、ということがある。
<ねぇ、どうなの>
<いやぁ、ちょっともう遅いんですよ>
<そんなことはないんじゃない>
<いや、まじで。あ、もう動き出します>
そんな目での会話のあと、エレベーターがようやく動き出す。
<あなたたち、裏切り者!>
裏切り者呼ばわりの「エレベーターに乗っている組」は、エレベーターが動き出してあの怖い顔が見えなくなってくれるとホッとする。
例えばこれが病院の中なら、出来る限り乗ろうとしている人をエレベーターに乗せる空気が漂っているが、駅の中はややクールな人間関係で成立しているように思うのだ。
駅にあるエレベーターは、パニック映画の中に出て来る「助かる組」と「見捨てられる組」のようなあれと同じ景色が繰り返されている。
<だって、あれはしょうがなかったのよ>
置いてけぼりにした人間の顔が消えるとエレベーターの中では知らぬ物同士、言い訳の心を一つにしているのである。