今年の高校野球は、実家の近くの金光大阪高校が大阪代表で初出場をすることになった。
私が子供の頃、高校が出来る前その敷地はゴルフの練習場だった。たまに父しげおっちが練習に行っていて、一度ぐらい見に行ったことがあったのだ。ゴルフ場がなくなって何が出来るのかなぁと思っていたら、思いもしなかった学校が出来た。
うちの住宅街の辺りは年中静かで、そこに住んでいる人しか用のないところだったので、唯一盆踊りが空気をかえてくれるイベントだった。いつ頃だったか夏に淀川の対岸で花火大会をやるようになり、その時だけはわんさか人と車がやってきて、家にも花火大会の日だけ住民の通行証が発行され、住民達はうるさくて迷惑というよりも「こんなに何もない場所によく訪ねてきて下さった!」と、喜んでいたが、その花火大会も場所を移してからは、また誰もやって来ない静かすぎる住宅街に戻った
のだ。
外部者で居るのは露出魔ぐらいというところ。
駅までの道、学校の横を通るといつも野球部が練習をしていた。カキーンというボールの音やかけごえをかけながらザクザクと走る音が塀の向こうから、よく聞こえてきていた。その時の彼等も、毎日練習をしていたことを思い出す。
父しげおっちは、すぐ近くのこの高校が甲子園に出ることをきっと知っているだろう。
「夏は帰れないけど、9月のあたまに行くから」と春ぐらいから機会があるごとに、私は父に言ってきた。先に父が楽しみにしてくれることがあると、元気で居てくれるんじゃないかという想いがあったのだが、先週電話で「9月に帰るから」と話した時にもまだ父は、「随分先じゃないか!」と不服そうに返事をしていたので、あと一ヶ月は父にとって楽しい時間でもなんでもないんだなぁと思ったばかりだったのだ。
「近所の高校が出とるし、ワシも応援したらなあかんやろ」
父はちょっとだけ、いつもの夏より張り切っている気がする。
私の実家の辺りは子供が大きくなって家を出て、すっかり静かな住宅街になった。一日を長く感じる老人がたくさん居る町になった。
あの、馴染みのある高校が甲子園に初めて出る。
勝ち進め。
ひぐらしが鳴く頃まで。
ウチの頑固な父も、ずっとテレビの前で応援しているよ。
ありがとうね。
老人の町に、父に元気をくれた球児達に、感謝の気持ちでいっぱいになったのであった。