「今日もまぶしいなぁ・・・」
西側の通りに面した雨戸を開けると、少し離れたところに立っていた年輩の女性と目が合った。
家に面した道は袋小路になっていてすぐ行き止まりだとわかるので、普通に歩いていて道を間違えて入って来る人はまず居ないのだ。
セールスかな。
いや、ちょっとそういう感じでもないな。
なんとなくだが、私に道を尋ねたそうな感じに見えたので、軽く会釈をしてみたのだった。
「あの・・・・」
声を出したのは女性の方だった。
「はい?」
「私、ここの大家の妹なんです」
「え!」
「私の方は川崎に住んでいるんですが・・・」
ここの大家さんのことは簡単な情報なら知っていた。数年前に旦那さんを亡くされて故郷の山口に戻られたこと。下北沢に従兄弟が居て、その人とは会ったことがある。だが妹さんの存在は知らなかったのだ。
今度は私の方が慌ててお世話になっていますと挨拶をする番となった。
「今日はすぐ近くまで来ましたんで、ちょっとなつかしくなって寄ってみたんです」
あぁ、わかる。私も幼稚園の頃に住んでいた尼崎の家や、愛知にあった祖母の家に保谷のアパート、従兄弟の家と今はもう他人が暮らす家となった場所をどれも自分は訪ねたことがある。懐かしい気持ちになりながら、別の人が住む家となりもうその思い出はここに今住んでいる人には関係のないものなのだということを自分に言いきかせながら、ただの通行人としてその場を離れたっけ。
大家さんとは面識はない。でも電話で話す感じでは品のよさそうな明るいご婦人で、目の前の妹さんも品のいい綺麗な60代ぐらいの人だった。
しばらく、女性と会話をする。
数分話をした頃に
「中は・・・どんな造りになっているんですか」
今度は少し突っ込んだ質問をされた。
今は私が住む場所。この中のことを話しても昔の間取りとは全く違っているだろうし、そこまで親切に話す必要もないと思ったが、なんとなく”まぁ、いいかな”と思い直して、中の間取りを説明をするとご婦人は昔の景色と今との違いを頭の中で整理してるようすだった。
この場所は、思い出の場所なんだろう。
私にもそういう場所があるのと同じように。
「あの・・・。よかったら上がっていかれますか」
どうして、こんなことを言ったのか。
だがご婦人が黙って何か言いたそうに思えたので、自分の城の砦を、なんとなく緩めてもいいかなという気になっていたのだった。
「いえいえ、それは結構です」
「すみません、お邪魔しちゃって」
そうしてご婦人は丁寧に頭を下げ、帰って行かれた。
お盆で多分お墓参りに来られたのだと思う。白いブラウスに黒のスカート、ここのご主人のお墓なのかもしれない。
まぶしい日差しが、通りを照らしていた。
どんな暮らしがあったのか、いくら想像しても私には見えない。かわりに蝉の鳴き声と共に蘇ってくる私にとってのなつかしい景色達が頭にいくつも現れたのだった。
会えなくなった人や景色達とは、心の中だけが会える場所となった。
それでも訪れてみたくなる。
思い出す人が今も居るということが、大きいことなのかもしれない。
残された人達は、あれから毎日元気でやっています。時々、思い出したらやっぱり懐かしくて胸をキュっと掴んでいきますよ。
もう会えない。
けれど、思い出せば会える。
でも、
ほんの少し切なさがよぎっていく。
私が思い出と出会う時は。
もうお盆。
今日もジンジンと蝉の声が響いていた。