雨。
8月31日が雨だったことって、あまりなかったのではないだろうか。
クーラーの調子が悪いので、今日は修理のお願いの電話をしたが、最短で来週の土曜日にしか来れないとのことだった。
イタチはクーラーがないとダメなのだ。
一発で弱ってしまう。
今年の夏は越せるのかなぁとゴン太について心配をしていたが、特に変わりなく過ごしてくれたのが私の夏の毎日のささやかな幸せだった。だからクーラーだけは出掛ける前に直しておきたい。
「水曜日までにどうしても直して欲しいんです」
と、頼んだら割とあっさり「いいですよ」という返事だった。あれ、意外にハードルが低うござんす。
以前、電化製品は保証期間の一年を過ぎても、だいたい3年ぐらいまでのものなら交渉の仕方で無料修理をしてくれると友人のHP上で、そんな会話がなされていた。
私は、「そんなことってあるの?」派だったが、意外にも「うんうん、そうよね」という経験者を含む人が数人居て、「そんなことってあるの?」派だった友人が、その後壊れた冷蔵庫だったかを交渉してみたら、本当に無料修理してもらえたと報告をしていたのだ。
来週の土曜日まで待ち。
こんな時、男性はそうですかと言って我慢して土曜日まで待つ人が多いのではないだろうか。
ちょっと前を失礼〜。
どんな場面でも順番抜かしをするのは、いつもキング・オブ・おばちゃん=”大阪のおばちゃん”なのであった。
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2007年08月30日
一回目の全体通しリハーサル。
今日は金沢用のメニューで、仮りリーディングも込みで全体の流れを組み立てるリハーサルで、それまでのリハのように一曲やって「ここはどうしようか」とすり合わせをするのではなく、一本のライブメニューをスルーでやってふかんで今度は見て行く形のリハーサルだ。
ここでMCが入る。
ここはつなぎで行く。
メニュー進行表をもらって、大山氏から流れの説明を受ける。
リーディングが実際に入って来ると、同じ一曲でも表情が随分変わる。今日はなんだかピンと張った、私が一年で一番好きな晩秋のあの澄んだ空気がスタジオの中でする。
音楽をする時、私はこういう空気の中に居るのが好きだ。祐民子ちゃんの曲の持つ温度も、個人的には晩秋の澄んだ空気を感じてきたので、今日は緊張をするリハーサルだがこういうのは好きな緊張だ。
普段の生活では忘れ物を頻繁にして集中力に非常に欠けた私だが、ライブではこの自分になっちゃいけない。
ちょっとだけ不安になる。
いやいや、不安になっちゃダメじゃん。
黙って仏頂面をしている時の私は、気弱な自分に「出てきちゃだめ!」と言っている時なのだ。
祐民子ちゃんは歌詞を置かずに歌う。
10数曲の中で通していると、時々歌詞がとぶことがあるが、そんな時には”あ、歌詞がとんだな”とバレる空白が出来る。だが、変な見方かもしれないが私はそこに祐民子ちゃんの音楽純度の高さみたいなものを感じるのだ。ごまかしの言葉が出ないまま立っている姿は、正直な一人の人間の姿そのままを晒していて、でも晒されながらどこへも逃げない姿を同時に見せてくれる。そんな人間だからこそストレートに届く歌詞を書けるんじゃないか、だからより言葉がグっと来るのではないかと思ったりする。
歌詞がとんでも不思議と曲が終わると、伝わるものは損なわれていない。すごいことだなと思う。音楽は歌詞をしっかり伝えることも大事だが、そうじゃなくても音楽は伝わってくる。そういうものなんだと、一緒にリハーサルをしてきて感じた。
私も間違えることを恐れずに、この空気を掴みたいなと思った。
2007年08月29日
今日はペットシッターさんとの打ち合わせの日。
留守にする間、イタチのゴン太とチワワのダンボの餌や水の管理、排泄物の処理や遊び相手をペットシッターさんにしてもらうので、今日は事前に確認事項をチェックしたり鍵を渡したりする日なのだ。
今回は初めて来てもらう女性のシッターさん。前に2回お願いしたおじさんのシッターさんもいい方だったが、「留守とわかっている女性宅に入れるんなら、俺なら絶対パンツ被るね」と仕事仲間の某氏が断言していたので、”もしかしたら、留守中に私のパンツを被っているかも・・・”という不安がぬぐえず、なんとなくのオーラで自分も「クロ」と判定をしてしまった。
人に動物を預けるとなる時、自分の家の動物のことをあらためて大事な存在なんだなぁと思い直す。
いつも一緒に居る時は「こら!」「だめ!」と叱ったり、「あとでね」と言って適当にあしらったりしているクセに、シッターさんに普段の世話を代行してもらう為の申し送りの打ち合わせをすると、”餌はこれぐらいの量””ここの扉はこれぐらい開けておいて下さい””こちらの部屋はエアコンを25度設定で””水はここに入っているものを”と、この家での決めごとって意外にたくさんあった。
こんな時はゴン太はこう、ダンボだったらこう。
暮らしながら見つけたやり方には、それぞれ意味があって、ゴン太でなければダンボでなければまた方法は変わっていたのだ。
放し飼いにしてきたので、わりと放任な方だと思っていた。
でも思ったより人間側のルールはいっぱいあった。
こんな時は、普段自分をダメ飼い主だと思っているわりに、やっぱり自分が一番この二匹をことをよく知っている人間なんだと思ったりして、急に留守にすることが心配になってきたりする。
仕事の時に言う”よろしくお願いします”とはまた違う「よろしくお願いします」
私が居ない時、極端な話お前達は別にいい子にしていなくたっていい。
なるべくストレスなく過ごして欲しい。
ウチの可愛い息子達よ。
やっぱりアタシが一番お前達のことを心配してると思うわ。
「よろしくお願いします」と頭を下げつつも・・・、
ペットシッターさんと飼い主との関係は、嫁と姑のよう。微妙な心理関係は一緒の公式なのではないかと思うのであった。
2007年08月28日
この夏の毎晩のちょっとした楽しみは、寝る前にパソコンでじゃらんのページに行って、温泉宿を見ては旅行気分を味わうことだった。
なるべく実現可能な近隣の温泉で「行く」ことを前提に眺めてきたが、”気に入った”ポイントで共通している点があることに気がついた。
”てんぷらがついてる”
”てんぷらがない”
どうも、部屋出し夕食で「てんぷら」がついているかどうかが気になるらしい。
何故てんぷら。
日々の生活において特に、大のてんぷら好きというわけでもなく、普通位のてんぷら好き。しかも厳密に好みを言えば”キスのてんぷらが好き”という程度なのだが。
やっぱりHPだけを見て満足をするというのには無理がある。夏も終わりに近付いて来て、だんだんわびしい気分へと変わってきた。
本当の温泉に行きたい。
部屋で、てんぷらが食べたい。
結局、毎晩寝る前に、てんぷらのことを考えていた私の今年の夏であった。
2007年08月27日
ここ最近、携帯を忘れて家を出た日が二日あった。
まずは先週の金曜日。
町田駅の改札口を出た所で友人と待ち合わせをしたが、事前の電話では「わからなくなったらお互い携帯で連絡を取ろう」と言っていたのだ。その日は30分も早く着いたというのに、駅に着く直前に携帯が鞄に入っていないことに気がついた。
財布を忘れてきたのと同じ位ショック。
実際には改札は二つあって、「多分、こちらの改札」と、大きい改札に行ってみたら、今度はそこから南口、北口、西口、それから恐らく東口もあったと思う、四方にそれぞれ出口があって心細さでいっぱいになったのだ。
30分、私は改札の周りを巡回した。
何やってんだろう・・・と、情けなかった。
今日はリハに出掛けた道中で気がついた。
どうしよう、取りに戻ろうか。
それじゃあ遅れる。
だがそこから先は原付に乗りながら、免許不携帯でバイクを運転をしているような錯覚に陥ったのだ。
リハの合間に祐民子ちゃんが携帯でメールチェックをしていた。
最初は”いいなー。携帯持ってて”という目でジっと見ていたのだが、だんだんそれだけで立派な社会人に思えて来る。
はぁ〜〜。
昔は携帯なんてない生活を普通に送っていたのに・・・。手元になかった二日間の自分を襲う喪失感は思った以上に大きかったのだ。
そしてその二日間は、家に帰ると急いそと携帯の所に行った。
「ただいま〜」
「あ〜〜ん、居た居た」
「よかったぁ」
チューーーーーっ!
「大変じゃなかった?」
液晶を覗くと
<着信ゼロ、受信メールゼロ。>
再会に盛り上がる私に反し、携帯の方はクールな反応であった。
ホっとした直後に、プチ孤独に襲われる。
持って出た時に連絡がない分には気にならないのに、持たずに出て連絡が一つもないと、急に自分には友だちが居ないような気になるのであった。
2007年08月26日
ダンボちゃん。
もうすぐ一週間程お留守番になるんだけど・・・・。
大丈夫かな。
部屋で私と一緒に居る時のダンボは、くつろいでいる。イタズラもしないし、いつまでもおとなしく近くで毛づくろいをしたり、眠っていたりゴロンと横になっているのだった。
チワワというのはそういう犬種らしい。大好きな人が一人居て、1対1で過ごしたい犬なのだそうだ。
それでなのか、ゴン太が起きてゴソゴソとすれば、急にライバルに対してダンボは闘志を燃やす。インターフォンが鳴れば私の頭を踏んででも、威嚇に行ってしまう。
だが、普段はとても静かにしている。飽きないのかと尋ねても、穏やかな顔をしてその場にジっとしている。
だから私の留守中がちょっと不憫だ。
イタチのゴン太はシンプルな性格で、多分「喜」と「怒」と「楽」しかない。先住のチビ太は同じイタチでも「哀」があったはずなのだが、ゴン太はその辺りがさっぱりしているので、こんな時は気持ち的にちょっと罪悪感が少なくなる。
「ボク、捨てられちゃったのかな」
こう思いそうなのは、ダンボだ。
こんな時に、上手に人間の暮らしのしくみを動物達に伝えられたらなぁと思う。留守番をしている間、いつも一緒に居る人は、怒って出て行ったのでもなく、嫌いになったわけでもなく、長い時間外で用事があるから居ないただそれだけなのだと。それで寂しさが減ることはないかもしれないが、それでもそういうことを伝えられるのとそうでないのとは、やっぱり何かしらの違いが出ると思うのだ。
今までに、数日家を空けたことがあったが、何度か私の布団の上にダンボは吐いている。いずれもペットシッターさんに頼んで報告がなかったので、最終日ペットシッターさんが帰ったあと私が戻るまでの間にやったのだ。布団の上でこういうことをするのは決まって留守中なので、犬には犬の何か理由があるのだと思う。
やっぱり、”寂しいストレス”かなぁ・・・。
「待て!」
「よし!」
「伏せ!」
「拾って!」
「お手!」
しつけには、ムラがあってはいけないのだそう。
急に自分を置いて居なくなる飼い主を、どんな目で見ているのだろう。
これもムラになるんだろうな・・。
なんにも、悪くないよ。
もうすぐダンボは寂しくなる。
お前との関係においては私は「お手」よりも「お前は悪くない」と、教えられた方がよかったと思うのだった。
2007年08月25日
最近のファッションの流行について、すっかり私は「可愛い〜」について行けなくなった。
「可愛い〜」と思えない。
近頃店頭で見掛ける服や靴のデザインは、私から見れば微妙なラインにあって、おばあちゃんの原宿「巣鴨」に売っていそうな”おばあちゃんの定番ファッション”。それがそのまま、今渋谷新宿のファッションビルで、若い子向けに売られている。
いいの?
これで、いいの?
長年、女性としてそれなりにファッションビルには足を踏み入れて来たが、「おばあちゃんのと同じ」タイプの服や靴や小物が10代20代の女のコ達の流行りとなったのは、今回が初めてではないだろうか。
「秋の新作」
祖母が着ていた洋服や、身につけていたネックレスにそくり。
「みきちゃんに、コレあげるぎゃー」
い、いらない。そう思ってきた品々。
今は店頭でいい値段がついている。
靴はコッペパンをつぶしたような形で、かつバレエシューズを足して2で割ったようなデザイン。これが流行っていて、これまたおばあちゃんが部屋の中で履いていたような靴下とセットで履いている女子が多い。
下北沢でよく見るおだんごヘアー。
サザエさんのフネさんが私の子供の頃からやっている。
そして洋服を買いに入れば、店内の50%の洋服が大屋政子女史が着ていたタイプのシルエットのものが並ぶ。
いいの?
いいんです・・・よね。
若い子達のファッションは、髪と服と足元はおばあちゃんと同じで、あと、両者違っているのはメイク方法だけとなった。
おばあちゃんが着ているのには見向きもしないが、雑誌に載って店頭に並べばそれがお洒落に見える。ファッションの流行は一種の催眠術みたいなものなのだろう。
そのうち「入れ歯」もファッションになるかもしれないのだ。
2007年08月24日
夜、縫い物を頼んでいたので叔母の家を訪ねた。
3人の従兄弟達は、今はそれぞれ別の家に住んでいるので叔母は今はマンションで叔父との二人暮らしをしている。
家に行くと叔父はテレビの真ん前に座り「あっはっはー」と、笑っていた。私が子供の頃の叔父は、いつもお洒落な帽子を被り話し方もスマートで、ダンディな紳士だったが、今ではマイペースなじいちゃんとなりすっかりキャラが変わったのだ。
「あぁ、みきちゃん」
叔父は母の実兄にあたる。振り返った時の顔を見ると、祖父と叔父と母は同じだなぁとあらためて思う。
今日は久しぶりに会うので、3人で夕食を一緒に食べることになった。
今月、そう言えば私は結婚数日のご夫婦とそれから結婚約20年のご夫婦、そして今日の叔父と叔母という3組の夫婦と一緒に食事をしている。結婚数日の二人の時は、奥さんが席を外している時に「僕は結婚願望はなかったんですけれど、彼女だったから結婚したんですよ。僕が言うのも何なんですけれど、とてもいい娘なんで仲良くしてやって下さい」と旦那さんは言っていたっけ。
そして、今日のとんかつ屋にて。
何かの話で結婚の話題になったのだが、「私も結婚した方がいいのかなぁ」と口にしたら・・・・。
「結婚は、なるべくしない方がいい!」
店内に響くほどの大きな声で、叔父と叔母はほぼ同時に言ったのであった。叔父と叔母の「結婚はなるべくしない方がいい!」の息はピッタリ合っていた。さすが長年連れ添った夫婦・・・。
この一ヶ月で、私は朝顔の成長は観察しませんでしたが、夫婦の成長を見る機会がありました。
「今度の法事は、おじいちゃまが27回忌でおばあちゃまが7回忌になるのよ」
「ふーーん」
「あぁ〜。20年もおばあちゃまは独身だったってことよ。自由を謳歌したのよねぇ」
は、はは・・・。
叔母の話は聞こえていたであろう。
夫婦って不思議な人間関係だ。
目の前で叔父は美味しそうにトンカツを食べていたのであった。
2007年08月23日
服部祐民子ちゃんとリハーサル。
リハが終わると二人共お腹が空くので、近くでご飯を食べる。こんな時にはいろんな話をするのだ。
初めてレコーディングをした頃、私は宇宙基地みたいな場所で全くわからないことが沢山あった。レコーディングってどうやればいいのか。何をどう進めたらいいのか、一番の当事者としてそこに居るにもかかわらず、方法を知らずによく現場のプロデューサーやエンジニアの人に「普通はどうやるものなんですか」と尋ねたが、返ってくる答えの大抵は「人それぞれだからねぇ」といったもので、そもそも同業者がやっているその”人それぞれ”を知る機会がなかったので、本当に何もわからない状態でオロオロした時期があったのだ。
私はなかなか同じ立場に居る人と、情報交換をすることがなかったので、ご飯を食べながら今日は曲作りの途中のことやなんかを質問する。
歌詞と曲を書いて自分で演奏をする人の”ハタ織り中”ってどんな感じ。
一致したことがいくつかあった。
食欲が落ちること。
化粧をしていたとしたら、それを落としてスッピンになること。
体をしめつける衣類を身につけなくなること。
ここが全く同じだったので、「何だろうね〜」ということになった。
「じゃぁ、仕上がる途中の歌詞ノートはどんな感じなの?」
これは私は人には見せられない。
はっきり言ってどうしようもなく稚切。このノートを見た人は「この人、だめだな」と苦笑するだろう。自分で書き、それを見て「だめだわ、私」と半泣きになる魔のノートがあるのだ。
祐民子ちゃんも”人には見せられないノートがある”と言っていたが、そこはグレードというものがある。「これでいいじゃない!」と私が手にしたら言うかもしれないので、ここは一致したとは言えない。
一人で作業をしている時のことは、なかなか知ることがないので、そんな話が出来るのも楽しいひとときだ。
今日のリハーサルで、だいたい大枠が出来て、次回のリハーサルは仮の曲順を作ってきてもらって、並べてやってみようという所まで来たのだ。
「なんか、だいぶ見えて来たね」
と、お互い。
祐民子ちゃんとのリハーサルは、何の邪気もなく音楽的で気持ちがいい。まぁ、長い過去において他にそうじゃない現場もあったから、私もこういうことを感じるようになってきたのだが、だがこれが本来のリハの姿なのではないかなと思う。
「じゃ、月曜日にね!」
帰り道の風の温度が、少しずつ秋に変わってきた。
2007年08月22日
カーテンを開けて、外を見る。
「今日はいらっしゃいますよね」
そうですか。
またしばらくして、カーテンを開ける。
「お出掛けにはならないんですね」
そうですね。
お休みですもんね。
私が話し掛けているのは、家の前に停まっているバイク。お二階の住人はどうも水曜日が仕事がお休みらしいのだ。
私はこの部屋でデモの歌を録ったりしている。自分はヘッドフォンをしながらなので全部の音が聴こえているのだが、表には本気で歌っている歌だけが響くので、歌っている本人も恥ずかしく、逆に休みの日にこんなものを聴かされたら自分だったらたまらない。だから水曜日はなるべく、そこに作業が来ないように気をつけてはいたのだが、そうはいかない時もある。
前に観たダウンタウンのお笑いのビデオの中に、ロックシンガーがコーラスを録音しているシーンがあったような記憶がある。浜ちゃんが、「アーーーッ」と歌ってからしばらく黙っていて、「ウーーーッ」とまた歌い出して、時々「字ハモ」といって歌詞に添ってハモりを歌うのだが、レコーディングのコーラス入れは本当にあれが正しい状況であるにもかかわらず、私はそれを見て爆笑したのだ。録音作業の中でコーラス入れは、確かにコントになると思った。
そして奇くも今日は同じ状況、コーラス入れ。
「アーーーー」
しばらく無音。
「ウーワー・・・ひと〜つ〜〜」
「まいにちにっ!」
「まいにちにっ!」は、4回オーケーテイクが必要なので、レベルチェックや失敗して録り直したりする分も合わせて4テイク録音をするのに10回ぐらい「まいにちにっ!」は叫ぶ。2番にもそれがあるので、「まいにちにっ!」は20回はこの家から響くことになる。
コントとして笑えるのは数分で終わるからだ。
時々、お二階が犬だけの時は犬が反応して激しく吠えることがある。
今日は人も犬も居るはずなのに、シーンと静か。
<終了しました。ご迷惑おかけしました>
チラっと上を見ると、二階の”うんざり空気”が天井辺りに下りてきていた。
外は今日もカンカン照り。しかしこの家には雷雨寸前の不穏な雲が重くたちこめていたのであった。