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投稿日:2010年07月02日

2010年07月02日

近くのスーパーに買い物に行ったら、エレベーターのところに七夕の笹が飾ってあった。
<もう一年になるんだなぁ>
去年もこの辺りに笹が飾ってあって、「ご自由にどうぞ」と短冊とえんぴつが置いてあったのだ。なんとなくお願いごとをその場で書いて吊るすという行為が恥ずかしくてそっと短冊を持ち帰って、家で吊るしたっけ。
<家族みんなが元気で暮らせますように>
<サッカーがうまくなりますように>
盗み見になってしまうが、笹に掛けられた願い事をつい見てしまう。
「あっ。」
気になるお願い事を見てしまった。
<大きくなったら仮面ライダーになれますように>
むむむむむーーー。
このお願い事にどうも、私には想像力をかき立てられてしまう。
だって。
大きくなったら仮面ライダーにはなれるかもしれないのだ。それは本当に役者さんになって仮面ライダーの役をもらうというケース、もしくは仮面ライダーショーに出演するアルバイトをするというケース、仮面ライダーのお仕事に就ける可能性は決してあり得ない夢ではないのだ。
”本当に仮面ライダーになれるかもしれないよ”
短冊に向かって心の中で話しかけてみた。
しかし・・・・。
”でも、仮面ライダーにはなれない方がいいかも・・・”
見ず知らずの男の子の夢にちょっと胸を痛めてみたりする。
というのは、お芝居関係の友人が言っていたが、役者は生活が大変なのだそうだ。売れないミュージシャンの方がまだ絶対にマシだと力説していて、この「役者は生活が大変説」は私は度々耳にしている。「役者には絶対ならない方がいい!」とさんざん聞かされているうちに、どんなにひもじい暮らしをしているのかといつからか想像力だけが肥えていったのだ。
仮面ライダーになりたい男の子はまだうんと小さい子なんだろう。短冊の文字はお母さんの文字で書いてあり、スーパーからの帰り道には「大きくなったら仮面ライダーになれたらいいね」と、ボクちゃんと楽しく会話をしながら帰ったかもしれない。
私も昔・・・・・・、
母親に「ピアノ、上手になったわね」「おかあさん、嬉しいわ」と言われていた時期があったのだ。周りの友達がどんどんピアノをやめていく中私はやめずに続け、母は他は出来が悪いが唯一ピアノだけは頑張る私を褒めてくれたのだ。そしてずっとピアノを続けて大学を卒業したら、ある日「いつまで音楽なんかやってるの!」と仁王立ちで私に怒りをこめて吐き捨てるように言ったのだった。
あれ?いつを機に意見が変わったのだ。
ここの家も息子が本当に「仮面ライダー」になったら、私の母と同じように急に「なんで真面目に就職しないのか」と母親は嘆くかもしれない。うむ、ないとは言えない。
”仮面ライダーになれるといいね”
”うーーん、でもなぁ”
”やっぱり仮面ライダーには、なれない方がいいかもしれないよ”
”あっ、でも子供の夢を壊しちゃいけないなぁ”
ふぅうう〜〜〜〜っ。
いや、本当はもう帰り道には母子共すっかり「仮面ライダー」のことは忘れていたかもしれないというのに・・・あの短冊の一文が一人尾を引いていた、変に真面目な私なのであった。