玄関を出た所にはジュリアンという花のプランターとビオラのプランター、二つを並べて置いているのだが、ジュリアンの花が3つ共鳥に食べられていた。
前の家でもそうだった。
ジュリアンが食べられてビオラは被害がなかった。
食べて行ったのは恐らくひよどり。庭のギャングと呼ばれている鳥だ。見た目が灰色で鳩をスリムにした大きさの鳥で、冬の餌の少ない時期にこうして花を食べて行くのだが、だったら賞味期限が切れた食べ物をやるから花を食べないでくれと私は頼みたい。
だってジュリアンは、花の色が綺麗だから植えているんだよ。丸いプランターに3つ植えるなら、どの色がいいかなと店先で白や赤や黄色、いろんな色の中から選んだ苗だったんだよ。ピンクだっていろいろあって、ややピンクに濃いピンク、くすんだピンクに蛍光ピンクとピンクだけでも5種類ぐらいあって、何度も色の組み合わせを考えて買った3つなのだよ。
完食されているのはジュリアン、ビオラは一つも手をつけてはいない。前の家でもそれは同じだった。人間の私にすればどちらかを食べるとするなら、ビオラの方が花びらが柔らかいのでビオラに先に手を伸ばすだろうな・・と思うのだが、何かあるんだろう。ヒヨドリはビオラとパンジーは嫌いなのだ。
家の前の道は白いブタ猫が縄張りにしていて、一度生ゴミの袋をビリビリに開けられたことがある。
なのでやっぱり花を差し出すしかないのか。
ヒヨドリくんよ。
君もなんとかやっておくれ。
ウチの花を食べてもいいとは言わん。
だって私にすれば泥棒だよ。
可哀想という感情は、時々厄介だ。
どの大きさの生き物に対しても、同じように自分は向けられるのか。そして喜怒哀楽も同じように発せられているのか。
突出した分量があれば、それは余分量。
3月になるとヒヨドリは花を必要としなくなる。
”春が早く来るといいね。”
見えない姿に向かって、言葉を投げたのだった。