昨日はえらく左の車線が渋滞をしているなぁと思っていたら、ニュースで見たのと同じでそこもガソリンスタンド渋滞だった。
今日は私もガソリンを満タンにしに行くぞ。
チョイノリは満タンにしても2.3リットルしか入らないのだが、明日になると同じものが値段が上がる。そりゃぁ1円でも安い方がよい。ニュースでも「1リットル130円台が160円台に」ということをさかんに言っている。160円台になってから入れに行けば、家計を切り盛りする賢い婦女子とは言えないようで、半ば女の意地を賭けてのガソリン調達になってきたのだ。
私も今日中にガソリンを。
入れるぞ、エイエイ、オー。
そうして夜になってからいつも行くガソリンスタンドに行ったのであった。
「いらっしゃいませー」
「満タン、お願いします」
「現金ですか」
「はい、現金です」
いっぱい入れて下さいな。
だって明日から高くなるんでしょう。
しばらくすると給油が終わり、店員さんがやってきた。
「2.3リッターで、328円になります」
計算をすると142円じゃないか。
ここ、130円台なんじゃないの。
「どうもありがとうございました〜」
そういえば、全然車は並んでいなかった。
ガソリンの値段の札がどこにも出ていない。
160円台からすれば安いが、ニュースでさんざん130円台と言っていたので、142円は微妙に敗北感が募ってくるではないか。
女の意地はどこへ消えた。
詰め、いつも甘し。
あんなに勇ましく家を出たというのに、帰り道の私は、お財布を落としたかぐらいのしょんぼり人間になっていたのであった。
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2008年04月29日
今日は夜、隣りの世田谷区の温水プールに行った。
ここはいつも通っている施設より少し遠いのだが、いつものプールが10日間程休館になっているので、初めて行ってみたのだ。
公共の施設とはいえ、場所が変わると勝手も違うだろう。今行っているプールは施設の人にも顔を覚えてもらって、一人で行ってももう戸惑うこともない。ちょっぴり馴染みのプールを恋しく思いながら、ドキドキしつつその世田谷のプールに出掛けたのだった。
「こんばんは」
事前にインターネットで調べてはいたが、実際立派な建物で警備の男性にバイクを置く場所を案内されて中に入ると、中の施設も充実している。更衣室にシャワールーム、そしてプールに進むと規模は小さいものの”流れるプール”に”ウォータースライダー”、”ジャグジー”まで備わったえらいリッチなプールだったのだ。
世田谷区に住むと車のナンバーは「品川ナンバー」、東京での車勢力図では「品川」がナンバー1ステイタスで、世田谷区というのは少しリッチな区という認識が東京の中ではある。”お金持ちマダムの住む成城”や”高級ワンコが散歩をする駒沢公園”、”ゲイノー人が飲んでいる三宿”も世田谷区、人気の区であることには違いない。
プールで決められている”休憩時間”になると、みんなジャグジーの方に移動をしてそこで休憩をするので、私も後をついていった。勝手がわからないので、最初から最後まで近くに居る知らない人の真似をしてなんとかそこに居たが、最後プールから上がって更衣室に向かう時に「必ずタオルで体を拭いてから更衣室に入って下さい」という張り紙を見つけた。いつも行くプールではプールサイドへのタオルは持ち込み厳禁。タオルは更衣室に行かないとないので、しょうがなくビタビタのまま更衣室に向かったのであった。
帰り道、ブーンとバイクを飛ばしたら意外に家まで距離は近かった。係の人もみんな気持ちのいい対応だった。だが、私はいつも行くプールが恋しくなっていた。
行きつけの店ってこんな感じなのかなぁ。
「いつもの」っていいな。
ウォータースライダーもジャグジーもなくていいから、早く休館日が終わらないかなぁと待ち遠しく思ったのであった。
2008年04月28日
最近、携帯を近くに置いているにもかかわらず、電話に気付かないことが増えていた。
まただ。今日もふと携帯を見ると「着信あり」となっている。「ごめんなさい、電話に気付きませんでした」と言って今日も掛け直す。
でも、ホワーイ何故。
トイレに行っていたとか、お風呂に入っていたとか、花に水をやっていたとか、コーヒーを入れていたとか、宅配の人が丁度来て玄関に行ったとか、いつも”あぁ、丁度居なかったな”と思い当たるフシがあったのに、今日はずっとここに座っていたぞ。
不審に思って携帯を調べると、電話の着信音の設定が小さい音量になっていた。メールの受信音は大きい音になっており、問題なくメールには気付いていたので、全く疑うこともなくただ電話がタイミング悪く取れていなのだとばかり思っていたのだった。
どこでどうして設定を変えてしまったのか思い出せないが、少なくともこの1ヶ月は掛かってきた電話に対し「電話に気付きませんでした」と同じことばかり言い続けて来たことになる。
その間、私の携帯ははがゆく私を見ていたんだろう。
「電話やでー」
「気付いてーな」
「おい」
「おいってば」
「あかんわ、この人」
「知らんでー」
「もうほんま知らんわ」
そしてある時から、冷ややかに見るようになる。
「ほんまに、気づけへんなー」
「おーい」
「テレビ見とおる」
「笑っとおる」
「気楽な奴っちゃ」
「なんとかしてくれ」
すいませんね。長いこと気がつかなくて。
携帯電話は嘆いている。
「いつも人の話を聞くばかり。」
「オレかて、たまにはしゃべりたいわ」
ほんと、すいません。
手のひらにコロンと乗った携帯電話を見つめていたら、そんな声が聞こえてきた気がしたのであった。
2008年04月27日
新宿に相馬裕子ちゃんとお芝居を観に行った。
裕子ちゃんがお世話になった方が制作をされている公演なのだそうで、演劇となると自分の知り合いが携わっていたりこうして友達に連れて行ってもらう機会がないと、一人ではまだなかなか行くことがないのだ。
今日の会場はシアターモリエールという所。この辺は何度か通っているところだが、お芝居をする場所があるのは知らなかった。ライブにあまり行ったことのない人がライブハウスの場所を知らないように、芝居スペースがどんな場所にあるのかを私は知らない。聞けば裕子ちゃんも初めてとのこと。二人共慣れていないので席についてからもソワソワしていたが、会場は満席。チケットキャンセル待ちの人は結局入場出来なかったみたいだった。
お芝居のタイトルは「桜屋敷の三姫」。桜屋敷に住む3人姉妹が中心となった内容で、ストーリーや舞台も良かったが若い役者さん達のエネルギーや感性の豊かさも伝わってくる充実感溢れるお芝居だった。
一つだけ不思議でならないのは、お芝居に行った時はどこの公演でも場面が変わる時に真っ暗になるということなのだ。一つの芝居の中で何度かこういう転換があるのだが、この間会場は本当にその数十秒の間真っ暗になる。その時には前も横も自分の体さえ何も見えなくなるのだが、次に明かりがつくと役者さん達がいつの間にかそこに居たり、セットが変わっていたりしているのだ。あれは足元が見えないのにどうやっているのかなと謎で仕方がない。ライブやコンサートでは何かしら機材の電源のランプがついているので、薄い明かりで動線がなんとか見えるようになっているので、この真っ暗の時の仕組みは是非知りたいところなのだ。
昼の部の公演だったので、お芝居が終わると夕方だった。
近くのてんぷら店で早い夕飯を食べながら近況を話し合う。
「かんぱーい」
「女二人でカウンターでてんぷらって、私達大人よね〜」
さっき会場で「ジュースって中で飲んでもいいのかな」「どうなんだろ」と、勝手がわからずおどおどしていたのが嘘のようであった。
2008年04月26日
カーナビが登場するまでは、ナビをする役をするのは助手席に座る人間だった。地図を見て道を把握してタイミングよく道案内をする。自分も助手席に座る時は、運転をしていないので申し訳ないという気持ちが少しはあったので、ナビをしていくらかのお役に立てれば嬉しかった。
今はカーナビをつけている車が多くなり、タクシーでもナビ搭載車両がグンと増えた。今や住所や電話番号を運転手さんに伝えるだけで目的地に着くことが出来るので、前もって地図で把握しておくということを忘れるようになったのだ。
今日はDーnaughtの車で下北沢のライブに行くのに、道中一緒に乗せてもらった。
下北沢は道が入り組んでいて、一方通行だけでなく狭い路地や行き止まりになっている場所が結構あるので、交通手段としては自転車が本当は一番ストレスなく回れる所なのだ。
車は特に把握している人が居ないと狭い道で往生することになる。以前タクシーに乗って下北に行ったら、どんどん道幅が狭くなって行き止まりになったあげく、自転車や歩行煮の冷たい視線をあびながら長い距離をバックでエラく時間をかけて戻ったのだ。
ベテランさんでも蟻地獄のように足下をすくわれる難所、下北の道。
メンバー車にはナビがない。メンバーは車の運転には慣れているみたいだが下北にはあまり来ないらしく、車で行くのは初めてなのだそうだ。私もバイクで行くことはあるが、わかる場所は限定で詳しいわけじゃない。
どうしよう。私も何も考えずに家を出て来たぞ。
困ったと思っていたらTom−oくんが携帯を取り出した。GPS機能がついている携帯ではナビも出来るそうで、未だにムーバで頑張っている私には驚きだった。
わお、本当に音声案内を始めたぞ。
よし、これでもう大丈夫。
・・・・と安心をしたのだが・・・・、
井の頭通りを右折する下北にまだ程遠い四つ角で「目的地、周辺です。音声案内を終了いたします」と言ってナビのお姉さんは突然居なくなってしまったのだった。そんな。その四つ角はみんな知っている所、そのもっと先の所を教えてもらわなくちゃ、だってそこが私達はわからないのだ。
おーい。ナビの人。
その後携帯のナビは反応ゼロとなり、車は蟻地獄へと突入し、例外なく迷ったのだ。踏切りを越え住宅街に入り、坂道を進み・・・・ここはどこ。最後はみんなどこを走っているのか全く見当もつかなくなっていたのだ。
ナビにもいろんな人格がある。
お気楽でアバウトな人に、慎重で裏道は通らない人、めんどう臭くなったら居ないフリをする無責任な人も居るし、かと思ったら少ない情報で明快に答えを出す仕事人も居る。
カーナビは機械だと思っていたが、中にミクロ人間が入っているんだと今日私は発見したのであった。
2008年04月25日
ラジオの収録でスタジオに行った。
外に出るとよく私は自動販売機やコンビニで飲み物を買っている。家に居る時は、徒歩すぐの所にある自動販売機にジュースを買いに行くということは滅多にないが、ラジオの録音の時はスタジオの入り口にある自動販売機で、100%の確率で何かしら買っている。
今は自分が買う比率は缶コーヒーが7割、2割がお茶。あとは紅茶かスポーツドリンク、ジュース類になる。昔はコーヒーが飲めなかったので紅茶が7割で缶コーヒーは1割未満だったのに、この10年程で缶コーヒーと紅茶の割合が入れ替わった。
今日もスタジオの入り口に置いてある販売機で、早速缶コーヒーを買う。
ボタンを押すと、ガラガラゴットンという音がして商品が出て来る。取り出し口に手を入れると缶コーヒーがあるのでそれを取り出す。
取り出し口に手を入れた時、たまにだが古い過去の失敗を思い出すことがある。
場所は祇園、時間は夜だった。5〜6本の缶コーヒーを、どういう理由だったか忘れたが私が買いに行ったのだが、出てきた商品を取らずに次々にお金を入れてボタンを押したので、全部買った後で販売機の取り出し口から品を取り出せなくなってしまった。
詳細は古い記憶なのでハッキリ覚えてはいないが、そこの販売機にあった電話番号に電話をしたんだったか、結局鍵を開けてもらってようやく品物を取り出して、謝って帰ってきた。当時20代の半ばだったはずなので十分いい大人、恥ずかしい失敗だったのだ。
自動販売機の形って、そういえばあまり変わっていない。他の物達はめまぐるしく変わって行く。冷蔵庫に洗濯機、掃除機に車にコンピューターにファッションに・・・etc。
自動販売機もお金の投入口とお釣りの返却口、商品の取り出し口が真ん中の高さにある販売機が登場して、これは私には便利だったが、もっと普及するかと期待したものの、今も街で見掛ける自動販売機は画期的に何かが変わった感じはない。
取り出せなかった失敗はさすがにあの一度だけ。
同じ間抜けな失敗を今も誰かがきっとしているんだろう。
今日のささやかな選択は、「あたたかい」のではなく「つめたい」のを選んだこと。
4月ももうすぐ終わる。
いつの間に今年も私達は春の真ん中に居るのだ。
2008年04月24日
先日、駅の改札を通ってホーム行きのエレベーターを待っていたら、70歳ぐらいのご婦人に声を掛けられた。
「あの、お節介なようですけれど・・・」
トントンと肩を叩かれたので、何だろうと驚いて振り向くと、ご婦人は周りの人に聞こえないように、小声で気遣い囁くように続けた。
「後ろ、洋服の後ろのボタンが開いていますよ」
「え」
「ほら、一番上のところ」
「あ・・・」
ご婦人は私の着ているワンピースの一番上のボタンを閉め忘れていることを教えてくれたのだった。
どうしよう。
そこの所はハイネックできついからと、わざとボタンを留めずにいた箇所なのだ。
「あ・・・・・。」
今度は私の方が小声で囁くように、わかっていて開けていることをご婦人に伝えた。
もっと機転がきけばよかった。そうすれば、ボタン一つ留めるだけで済んだのに。突作のことだったのでそこまで頭は回らなかった。
もうご婦人は、同じようなことがあっても知らない人に声を掛けないだろう。悪いことをしちゃったなとホームに上がったあとも一人後悔をした。
「大人の嘘」をわきまえている人を素晴らしいと思う。
世の中には、嘘が吐ける体質の人と吐けない体質の人が居て、私は明らかに吐けないタイプだ。悪い人間じゃないとは思うが、時に正直に言わなくても全くいいことでさえ、そのまま答えてしまうことがある。
「嘘吐き」と言うと、なんだかあまりいいイメージはないが、基本的に頭が良く脳みその反射神経がいい人のことだと思う。素質がない人間には手が届かなくても、素質を持ち心を磨けば、最上級の「大人の嘘」をわきまえることが出来る。
開いたワンピースの首元がスースーとした。
ご婦人の姿はなく、ホームで電車を待っていると少し肌寒い春の風が吹いて抜けて行った。
2008年04月23日
ダンボちゃん、いいですか。
今日は番犬テストをいたします。
私が外からコンコンと窓を叩いたら、吠えてごらん。
では。
行きますよ。
<コンコン>
外から窓をノックすると同時にベッドの部屋から飛んで来て、ダンボはものすごい勢いで吠え出した。
素早い反応。
「すごい!」
「おりこうさん」
番犬テスト、合格。
「よし」
と、ここで終わりにしたかったがダンボは威嚇吠えをやめない。
「もういいよ」
「私だよ」
私だとわからないの。
「ダンボ!」
ダンボは私の目を見て私だと理解した上で、怖い顔で威嚇し更に興奮をして吠えながら、窓ガラスに何度も体ごとぶつかって来るのだった。
「ダンボちゃん・・・」
ちょっと悲しい。
さっきまで私に甘えていた赤ちゃんサイズのワンコが、今は憎しみいっぱいの顔で私に吠えかかっている。
わからないよ。
私はお前のことが・・・。
急に自信がなくなり、やっぱり犬の言葉がわかる「バウリンガル」というグッズを買って首につけた方がいいのかなぁなどと思ったりする。
番犬テストをしようとしたが、結局は飼い主テストになってしまった。
ダンボが私に向かって激しく吠えている。
「飼い主テストは不合格!」
日本語に訳すとこう言っているのかもしれないのだった。
2008年04月22日
六本木でD−naughtのライブがあるので、リハーサルから行った。
自分のライブだと、午後以降はライブが終わるまで食欲もなくなり、ややグッタリとした状態で何もしたくない人間になってしまう。どんなに近場に美味しいスイーツの店があっても、可愛い雑貨屋さんがあっても、何屋さんがあろうとも行きたいと思わない、人としゃべるのさえ億劫になるのだ。
だが、これが誰かのライブにピアノでの参加という形だとかなり精神的には余裕が持てるようになる。普通にお腹が空くし、待ち時間も極度の緊張に襲われるといったことはなく平穏な状態だ。
で、更に・・・。
今日みたいに楽器演奏も何もせず、音のチェックのサブみたいなポジションで行く時となれば、今度は一気に暇を持て余し、リハーサルと本番以外の時間帯はただのお出掛け大好きの素の私となるのだった。
今日はリハーサルが終わると・・・・
まずミッドタウンにお茶に行く。その後は居酒屋に行ってお茶漬けを食す。まだ夕方だった。それからあと一時間あったので今度は六本木ヒルズに行って洋服やアクセサリーを見る。その後ノースタワーの入り口で美味しそうなアイスクリームショップを発見、アイス購入。もうそろそろ行かなくちゃ。と、六本木の裏通りをアイスの食べ歩きをしながら帰った。
本番に立ち会い・・・、終わるとまた暇人になる。
前はライブが終わると先に帰ったので、今日は打ち上げまで参加しようと思い、しばらくは楽屋に居たが・・・・、
だんだんムズムズしてくる。
とりあえず外の空気を吸いに道路まで出て・・・。
近くにあるペットショップに行き犬と猫を眺めた後、もう一度さっきの居酒屋へ行く。そして夕方食べたお茶漬けと同じ物を食べる。
いつの間にかメンバーと別行動になっていた。
あっ。
いつの間に12時を過ぎている。
なんてこったい。
一人で家に帰っていたのであった。
緊張しないで済むとなると、私は本当に野放し状態になるのだろう。
今日は何をしに行ったのか。
一日の感想が「なんか、楽しかった」というのも変だなぁと思う。
お出掛け大好き。
六本木って本当に外人さんが多くて、異国情緒溢れる街だった。
2008年04月21日
D−naughtのリハーサル。
今メンバーと一緒に音源を作ったりしているので、リハーサルにも顔を出しているのだが、演奏もせず歌も歌わずにリハーサルを横で見るだけという立場は、他ではやったことがない。彼等が初めてなのだ。
リハーサルは始まって、淡々と進んでそれで終わった。あとでチェックやアイデア出しは少しはするが、それでもメンバーの演奏中はピアノもキーボードもマイクもあるのに、私は椅子に座っているだけ・・・。
ちょびっと自分では違和感がある。
だが彼等には全く違和感はないらしい。
「音楽」は、最初に触れたもう記憶も定かではない幼い子供の時から、何故だか大好きな存在なのかどうかもわからないまま、離れることなく今日まで自分の近くにある。
入院をした2年間は丸々音楽のことを忘れていた。
でもまた私の毎日と音楽は接点を持ち続けている。
自分も続けたいという意志があったので、手放せなかったのだと思う。だが、出会った人達が未知の扉をいろいろとくれたおかげでそれは叶えることが出来ているのだと思う。
何に於いても今はあまり「先の約束」に興味がなくなった。
約束なんてしなくても、大事なものとの関係は、続けるために自分が意志を持ち、相手もその意志を受け取って一歩前に足を踏み出してくれたなら、自分が予測しなかった方法や形となって次へ次へと何かしら続けられるように出来ているんじゃないだろうか。
音楽を続けてきて私が知った一つの法則だ。
形をかえ、関係をかえ、距離をかえ、新しい自分の立場を見つけながら、どんな人も好きなものとは繋がって行ける。
一番初めに抱いた夢は、ピアノの先生になることだった。
あれから何度私の「音楽の夢」は破れただろう。
おかげで今私は、音楽とのいろんな形の関わり方を得ることが出来た。