つるバラがお好きなあるご婦人の影響を受けて、私もついにつるバラを育てる決心をしたのだ。
”つる物”は、いずれ引っ越すであろう賃貸物件ではやらないと決めていたのだが、つるバラの美しさを度々ご婦人から聞いているうちに、だんだん心は惹かれて行ったのだ。
最近の私は、だんだん寂聴さん寄りになって来ていて、結婚や恋愛への興味が薄れて来ている。かわりに花や動物が更に大好きになり、いかに花や動物達と楽しく暮らしていくかが自分のテーマになりつつあって、今はつるバラに心を奪われている真っ最中なのであった。
つるバラに囲われていた西荻のお花屋さんのように、ウチもつるバラで壁を覆いたい。バラに囲われた壁って本当に素敵なのだ。
で、早くも私の頭の中にはつるバラが自分の家の壁に咲き乱れている。日に何度も家の前に出ては壁を眺めているのだが、実際にはバラなんてどこにも咲いていない。私が微笑んで見ているのはただの壁でしかなく、気持ち悪いヒトになっているに違いない。
つるバラって、咲き乱れるまでには時間がかかるのだ。自分が頭の中に描いているバラ図は、実際に見られるのは来年の春のことで、今年はどう考えても「そう言えばちょこっとバラが咲いていますね」程度の分量にしかならないのである。
しかし想いは強く、既に”見えないものが見える”状態となっている私。だったら実際に咲かせなくても想像の上で楽しめばいいじゃないか、とも思う。
バラは虫がつきやすい花。
バラ屋敷になる前に虫屋敷になって、そこでヤル気を失せてしまった自分の姿も早々に思い浮かぶのであった。
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2009年02月27日
昨日、お昼に入ったてんぷら屋さんでのことだ。
「へい、1番さんお揃い」
「はーい、お揃い一つ」
「お揃いよろしく」
「はい、お揃い」
店の人達の会話が聞こえてくるのだが、この「お揃い」という言葉が気になって仕方がない。
かつてファミレスでバイトをした時に、「お冷」という言葉を私も覚えたものだ。家では「お水」と呼んでいる水のことをレストランに行けば「おひや」と呼び、「3番におひや4つ!」「はい、おひや今行きました」と、それで私も水というのは飲食店では「おひや」と言うんだなと理解したのだった。
ところが今度は大学の時にバイトをした喫茶店で、「お冷」だと思っていた「水」が「チェイサー」と呼ばれていることを私はあらたに知る。
おひやじゃないの?
チェイサーなの?
これらは、何か日本の基準で決められている呼び名なんだろうか。そのフォーマットに従って「おひや」「お水」「チェイサー」と呼び分けがされているんだろうか。そこら辺のことがわからなかったが、あえて誰かに聞くということもしなかったので、グレーなまま今日まで来てしまったのだ。
「お揃い」はまさにこの部類。
お揃いってなに。
ご飯セットのことなんだろうか。だがメニューには「ご飯セット」という風に書いてあって、わざわざ「お揃い」と言わなくてもいいだろう。
「カウンターさん、お揃い」
わ、私にもお揃いが来るんだわ。
何が来るのかしら。
「はい、失礼いたします。ご飯とお味噌汁になります」
「は、はい」
ご飯セットじゃん!
店の中で飛びかっていた言葉、「お揃い」とはご飯セットのことだった。しかしこれは天ぷら屋さんで使われている天ぷら専門用語なのか?それともこの店独自のメニュー言葉なのか?
店内のお客さんで不思議がっている人は誰も居ず・・・。
まぁ別に気に留める必要もないことなのだが。
「お揃い」ってなんなのだ。
ニホンゴハ、ムズカシイデスー。
2009年02月26日
外来が終わってから、下北沢に東京ヴォードヴィルショーの公演「見下ろしてごらん、夜の町を」を観に行った。今回は劇団始まって以来初の音楽劇ということで、客演の方々の生演奏があるんだなぁと思っていたら、役者さん達も実際に楽器を演奏をされるという構成だったのだ。お芝居を観ながら「これは高度な技だわ」「この役者さんは昔音楽をやっていたのかしら」とか「この人は、きっと一生懸命練習したに違いない」と、途中何度も音楽をやっている自分に戻ってしまうほど、音楽がふんだんにお芝居の中に盛り込まれた作品だった。
去年、ヴォードヴィルショーの役者さんである山本ふじこさんが「私、ヴォードヴィルの芝居と劇団の人達が本当に大好きなんですよ」と満面の笑みで嬉しそうに話してくれたのだが、あの笑顔が私には忘れられない。その話を聞いているだけで、なんだか自分も幸せな気持ちになっていたのだ。
ヴォードヴィルショーのお芝居はまだ数本しか観たことがないが、共通して言える好きな所は「笑いの温度」だ。決してむやみに誰かを傷つけたりすることなく、かと言って笑いとして淡くなるのではない。言葉が選びに選ばれていて、そうして面白いところにオチを持って行ってくれる。一見毒がないように見える部分かもしれないのだが、逆に私は作り手の鋭さを垣間見た気がし、すごいと感じるのだった。
今ヴォードヴィルショーは、旅公演中でこの数日間が東京公演。何カ月も家を空けた状態は家が好きな私には耐えられないだろうが、ふじこさんは旅公演は楽しいですよと言っていたっけ。
「見上げてごらん、夜の星を」は、坂本九さんの名曲。私も大好きなあたたかい歌だ。
そして今日観た63回公演となる東京ヴォードヴィルショーのお芝居、「見下ろしてごらん、夜の町を」。
あぁ、そうだなぁ。
ヴォードヴィルショーのお芝居は、坂本九さんの歌の世界と温度が似ている。そんな風に思ったのであった。
2009年02月25日
A動物病院からの紹介で、今日はダンボが大学病院で更に詳しい検査を受ける日だ。
今まで一緒に暮らした犬で大学病院にまで連れて行くのはダンボが初めて。最近は犬の病院も人間のシステムと同じように、高度な技術や施設が必要とされる場合、大学病院に紹介をしてもらって診察を受けるらしく、病院に着くと今日診察を受けるわんちゃんとねこちゃんが数頭既に受け付けの所に居た。
ダンボはとても怖がりな犬だ。
どの病院に連れて行っても、一番ビクビクしてこの世の終わりのような顔をしている。他のわんちゃんは寝ていたり、自分のペースで過ごしていたりするのに、ダンボは私が一緒に居るだけでは安心は得られないようで、結局家に帰るまでとても気を張った状態を続けていて、今日も待ち合い室の椅子に座っているだけでブルブルと震えていた。
最初に検査を受けたが、追加検査を更に受けることになり、ダンボと次に会えたのは午後になっていた。
「吉川ダンボちゃんの飼い主さん」
呼ばれて診察室に入って行く。ダンボがブルブル震えながら診察台に乗っていて、先生からレントゲンのフィルムと手書きの図で説明を受ける。
「肝臓は通常、こういった形をしているんですが・・・」
ダンボは一部右側の本来肝臓である部分の肝臓がないらしく、通常の大きさより小さくなっているのだそうだった。それが生まれつきなのか、何らかの原因で肝臓のその部分が萎縮してしまったのかはわからないが、それを今後様子を見ながら判断をしていきましょうという説明を受けた。
ひどく悪かった肝臓の数値が、それぞれ1/3位に下がっていた。A動物病院でもらった肝臓の薬が効いているということと、正常値にはまだ遠いので、少し薬を増やしてみてこのまま薬で2ヶ月かけて経過観察をすることになった。
「はい、じゃぁ家に連れて帰ってもらっていいですよ」
「どうもありがとうございました」
ダンボ。
帰っていいんだって。
難しい手術を受けなければいけないかもしれない不安からようやく開放された。
ダンボ、よかったね。
いや、ダンボじゃなく嬉しくてホっとしたのは私だ。手術の可能性もあるということは少し前に聞いていた。しない方法も選べたが、いずれもそれぞれにリスクはあり私にとってその選択は難しかった。迷って迷って手術をするという答えを出したが心細くて仕方がなかった。
ダンボ、今日はお祝いのごちそうを何もあげられないけれど。
でも家でお祝いをしようね。
ダンボは今日で6歳の誕生日を迎えた。
「ダンボ」
ダンボが来てから口にするようになったこの3文字。
キミと暮らせて私はたくさんの幸せをもらっている。
ダンボにとっては何でもない一日。
それでいい。
それがいい。
だけど私には忘れられない大きな一日となった。
2009年02月24日
近所の幼稚園が卒園制作なのか、外壁をキャンバスに園児達の絵が描かれている最中なのだ。
私も母校の小学校に行けば、池の外堀のレンガの中に自分の卒業制作で作ったものがまだあるかもしれない。自分達の年は「自分の顔を粘土に彫って、焼く」といった最終的には陶器のような何かになったのではなかろうか。
当時は図工、美術が楽しいと思えなかったので、イヤイヤやっていたような記憶があるが、今となっては貴重な宝物。機会があれば見に行ってみたいものだ。
それにしても、あの頃は”いつか中年になった自分が懐かしく母校を訪ねるかもしれない”ことを想像しながら作っていた子供は居なかっただろう。現在の私達は子供時代の自分達を懐かしく振り返ったりするが、子供時代の私達からすれば現在の自分達はきっと”まだ生きている化石のような自分”と、恐らく戸惑う存在になる。そう思うとちょっとおかしい。
母校を訪ねるここの園児達も居るんだろうなぁ。
となると、ちょっと気になることがある。
ここの幼稚園、外壁をキャンバスにするのはいいのだが、前に描いてあった園児達の絵を上から白く塗りつぶしてから次の絵を描いているので、無邪気に描かれた子供達の絵の下には以前に描かれた子供達の絵が眠っているというしくみになっているのだ。
「あ、わたしが描いた絵がなくなってる」
卒園した子の中にそう言っている子がきっと居る。
天は人の上に人をつくらず。
とは行かないようで・・・・。
近所の幼稚園は、園児の絵の上に園児の絵が描いてある。
壁に新しく描かれたお花やお人形さんの絵を見て、少し胸が痛い私なのである。
2009年02月23日
レコーディングで、今日は依田彩ちゃんにバイオリンを弾きに来てもらった。
彩ちゃんとはイベントでご一緒させてもらって、その後、あるライブ会場でバッタリ会って、お互い思わぬ友人繋がりだったねと驚いたのだった。今日はデモで自分が弾いていたシンセのバイオリンパートを弾き直してもらうので、まずは「こんな感じ・・」と、サンプルのデモをシンセバイオリンの音で聴いてもらう。
シンセサイザーの中にはいろんな種類の楽器の音が入っている。ベースやドラムにギター、チューバなどの管楽器の音や人の声も出せるし、オーケストラに出て来るハープの音からノイズ音や鳥の声までと幅広く、どんな音でも出せると言ってもいい、音の辞書みたいなものなのだ。
だが音楽というのは不思議なもので、例えどれだけ似た音で奏でたとしても、本物の楽器を前にすると圧倒的に敵わなくなる。楽器の持つ力と弾き手の持つ力は、それだけ音楽にとって重要な鍵となっている。そのことは、私の場合シンセを通してわかったことだった。
自分でも気持ちを込めて弾いたシンセバイオリンだったが、それを一度ガイドに聴いてもらってから自分のニュアンスで弾いて下さいとお願いをしたら、同じ音符なのにこんなに世界が変わるものなのかと感動した。
「別の弓に変えて、一度演奏してみようかな」
彩ちゃんのアイデアで弓を変えて同じ演奏をしてもらったら、彼女の言うとおり音がさっきより明るく華やかになった。
レコーディング、無事終了。
今週は「ハコイヌ」の作業もいよいよ佳境を迎え、最終データの仕上げを並行してやっている。私の仕事が終わるMAまであと一週間。今回は私にとってかつてない程の作業量だったが、ようやくここまで来れた。
トンネルを抜けるとそこは雪国ではなく、
きっと春のような気がする。
頑張れ、頑張れ。
あともうちょっとだ。
2009年02月22日
今日はレコーディングでidehofさん宅にお邪魔する。ギターは西川峰子さんのライブやレコーディングでお世話になっている末松氏。
お二人は今日が初対面となったが、idehofさんの家と末松くんの家は駅でいうと隣りで、車なら10分の距離だということがわかったのだった。
私は二人の住む小田急線は自分の利用する路線ではなく、この辺りには馴染みがないのだが、末松くん曰く、今住んでいる所は暮らしやすいらしい。
末松くんは福岡出身でidehofさんと私は大阪出身。環境や間取りのことから話題は駐車場のことに変わり、「やっぱり東京は駐車場代が高い」という話になった。
私の家の近所でだいたい2万円台から3万円ぐらい。渋谷区の友人が35000円だと言っていたなぁと思い出していたら、idehofさんが渋谷に住んでいた時の駐車場代は5万円だったそうで、「えー!」と思わず声が出た。ウチの実家の辺りなんて駐車場の相場は5000円だった。いくら渋谷でも、バストイレもなく車を停めるだけの所がそんな値段になるのは高すぎるのだ。
レコーディングは順調に進み、夜には終了。
idehofさんの家は古い平屋の一軒家。
ホームレコーディングって好きだ。
靴を脱いで奏でる方が、きっと音楽って伸びやかな音になるんじゃないかなと思うのだ。
2009年02月21日
高円寺で行ってみたいカフェがあったので、夜にフラっと出掛けてみた。
あずま通り商店街は高円寺駅の北にある商店街で、中野に住んでいた頃はここを自転車で通っていたが、もう何年も来ることがなかった。この通りでは古着のコートを買ったり、花を買ったり、駅の近くまで来ると夜遅くまで開いている本屋さんがあった。高円寺ならではのちょっと個性的な本屋さんで私もたまに深夜に来たりもしたのだ。
だが商店街の店も随分変わったようで、今は可愛いらしい造りの人気のカフェがあるらしい。一軒家を改装した小さい扉が目印のお店。壁一面には絵が描かれていて、モビールが吊り下がっていたり、秘密基地のようなロフト席もある。写真を見たら私の好きなテイストで、「よし、今日は行ってみよう」とワクワクして出掛けたのだった。
こんな日にはカメラを持って行けばよかった。
木で作られた小さめの扉を開けて中に入る。二階まで上がるのが私にはちょっと大変だったが、童話に出て来るような森の中の家ってきっと中はこんな感じなんだろう。ヨーロッパの森の中の小人達が暮らしている家をイメージさせる、とても可愛い店だった。
<可愛い!>
<来てよかった!>
お店には大満足。
来ているお客さんは女性が中心で、男のお客さんは彼女に連れられて来たという感じの人しか居ない。まぁ男同士では入りにくい店にはなるかもしれない。
隣りのカップルの会話がずっと聞こえて来ていた。
一人で行くとこんな時、いやでも会話が耳に入って来てしまうので、隣りのお客さんって大事なのだ。
彼女が延々、連れの男の子に「わたし」を語っていた。
「あたしはね。一戸建てじゃなきゃダメなヒトなの」
「ずっと賃貸に住んでるような人ってダメだと思う」
賃貸なんて有り得ない。一軒家を買うのが男の甲斐性で、あくまでも一戸建て。マンションでもダメなんだそうだ。通常の「そういうとこがよくないわよ!」という性格のダメ出しから、そのうちに女の子の方が熱くなって突如家に対するこだわりにまで話は飛んでいた。私が席についた時から既に「わたし話」はされていて、最後は耐えられなくなって席を立ったのだ。
森の中の小さな家には、今日はおしゃべり魔女が居た。
今度、魔女が居ない時にまた行ってみたいと思ったのだった。
2009年02月19日
クロマチックハープの録音で佐野聡さんに吹きに来てもらった。
去年の末にイベントでご一緒させてもらった時に、佐野さんのハーモニカの演奏に感動をして、それで是非とお願いをして引き受けて頂いたのだ。
クロマチックハープは、スティービーワンダーの演奏に感動をして随分前に楽器屋さんに行って買ったので、家にはあるのだ。だが、すぐにあきらめてお道具箱の中に仕舞ってしまった。数年前にその箱を開けた時にはハーモニカのこともすっかり忘れてサングラスのケースだと思っていたぐらいだった。
私は吹く楽器は下手なのだ。たて笛も「ぱひー」と音が裏返るし、クラリネットは3ヶ月やってもまともに音が出なかった。ブルースハープは息を吸って吐くだけしか出来なかったので「ぱふぱふ」言うだけだったし、クロマチックハープは「吹きものが下手」という意識のもとで始めたのであきらめるのも早かった。
佐野さんは逆にトロンボーン奏者でありながらフルート、ハーモニカも演奏をされる。それぞれ別の演奏方法で演る全く勝手の違う楽器なので、それらをマスターするのは至難の技、大人になって何ヶ国語が話せるようになるのと同じ労力が要るので、佐野さんは「吹き楽器」のバイリンガルと呼んでいいだろう。
シンセサイザーは便利な楽器だが、本当の楽器の音にはやはりあたたかみというか立体感が出て、人が直接音を出すということだけでもこんなに音が変わるのかと思うのだ。
最初からいい演奏をしてもらったので、今日は予定の時間を大幅に短縮して、あっという間に録りは終わった。
とても素晴らしいミュージシャンに出会えたことに、また一つ感謝をした日だった。
2009年02月18日
午後、銀座でMAの打ち合わせ。
銀座、有楽町、丸の内の辺りは1年に数える程しか来ることのないエリアで、去年は日本橋の三越と銀座の三越は同じ三越だと思って疑わなかったほど、地図が頭の中に入っていないのだ。
「銀座」と聞けば人々は何処を連想するだろう。
高級クラブがある場所を私は知らない。だいたいわかるのが百貨店の位置なのだが、一番私がホっとするのは不二家だ。昔、新幹線で東京のおばあちゃん家に遊びに行く時に、それまで超高速だった新幹線のスピードがグっと落ちて、「まもなく東京、東京」というアナウンスが聞こえて来る辺りで右側を向いたら窓の外に不二家のビルがピカピカと明るく目に入った。私にとっての「東京に着いた印」が銀座の不二家だったので、今でも私の頭の中の銀座地図は「不二家」を中心にあるのだった。
だから不二家が見えない場所だとさっぱりわからない。
地下の駐車場からエレベーターで上がったら、何故か日産の会社の中に居た。
なんでこんな所に迷い込んでしまったのだ。
よく知らない場所に行けば、迷うかわりに知っている場所では絶対にないような場所に紛れる驚きもある。会社勤めをしたことがなく、「オフィス」にあこがれがある私にとって、ちょっとだけ会社体験が出来たのは嬉しかった。
IDカードを首からブラ下げたかった。
ちょっとした冬の遠足であった。