詩人、金子みすゞさんの詩に歌を書いて歌っておられる第一人者、吉岡しげ美さんのイベントで、今日は私も金子みすゞさんの詩を1遍、朗読で参加させてもらった。
小学生の頃、国語の授業で教科書を読まされる授業があったが私はいつも詰まっていて、落ち着きに欠けたまま終始したが、上手に読める子というのは居た。勉強もよく出来たよっちんがそうだ。アガる風でもなく、子供なのに落ち着いたトーンで文章がちゃんと耳に景色となって届いて来る。すごいなぁと子供ながらに思ったものだった。
今日は一般公募の参加者が数名いらして、顔合わせでお目にかかると「ライブハウスは初めて」「人前で朗読をするのは初めて」という方ばかりで、50代以上のご婦人率も高い。
もう何度となくライブハウスに馴染んだ私でも毎回具合いが悪くなるぐらい緊張するのだから、みなさん初めての場所でどんなにドキドキされていることだろうかと思い・・・、よし、ここは何かあった時には私がお助けマンとして頑張ろう!と胸に誓っていたのだった。
だが、いざイベントが始まって、この「今日が初めて」と遠慮がちに言っておられたご婦人方の朗読を聞くと、私はブっ飛んだ。一般公募で来られたご婦人方。人前で読んだことがないはずだった方々の包容力は素晴らしく、金子みすゞさんの持つ優しい目線そのものの温かさが滲み出ていたのだった。
吉岡しげ美さんの温かい目線も、全てが優しい空気になっていた。
私は金子みすゞさんに対して、唯一残念に思っていることがある。それは彼女が若くして自殺でその一生を終えたことだ。
世の中には似たタイプの人間が沢山居る。例えば金子みすゞさんの詩がいいと思った人には、感性のどこかが一致したからなわけで、強引な言い方をすればみすゞさんとその人達は私を含むみんな似た人間ということになる。
似た目線の先輩が人生を精一杯走り切る姿を見せてくれたら、それが後に続く人達にどれだけの力を与えてくれるだろうか。
詩人としてはほぼ世に出ない無名のままだった金子みすゞ。優しく強くあたたかな詩、平仮名言葉に置きかえた平たい言葉で綴った詩達だけを置いて逝ってしまった。素晴らしい詩だからこそ自ら命を絶って欲しくはなかった。それが唯一、個人的に残念なことだ。
今日の朗読をされた最高齢のご婦人は70歳を越えられていた。この方の朗読がまた本当に心に響いた。
同じ文章なのにどうしてこんなに沁みてくるんだろう。
まるでターシャ・テューダーが金子みすゞを詠んだような一幕であった。