敬老の日。
世の中のじいちゃんとばあちゃんにとって、「敬老の日」は一大イベント。この日に孫が遊びに来てくれたかどうか、息子から電話が掛かってきたかどうかはすごく大きなことで、ウチの父なんて、去年の敬老の日に妹が訪ねて来なかったことを未だに覚えているのだ。
父の場合は「だ〜れも来えへん!」と怒りをぶちまけていた。が、気の弱いじいさんだったら、「ワシはもう誰からも必要とされていないんじゃ」と悲しい気分でいっぱいになっている。それぐらい、敬老の日というのは老人にとってデリケートな存在なのだ。
今日は早い時間に父に電話をした。
「敬老の日、おめでとう」
「へいへい、おおきに」
父は今日が何の日なのか覚えていた。
「来週、そっちに行くからね」
「へいへい」
相変わらず愛想がないが、やっぱり敬老の日を楽しみにしていたんだなと思うとちょっと胸がチクリとした。
父の場合は「ハッピーマンデー制度」についていけている。だが毎年毎年、敬老の日の日にちが変わることによってお年寄りのどれぐらいかは日にちを間違える人だって居るはずなのだ。
朝からずーーーっと楽しみに待っていて。
夕方ぐらいには、誰も来ないことに「何か事故か病気になっていたりせんじゃろか」と今度は心配になってくる。
夜になってテレビを見ながらも心はうつろ、お風呂にだって「今、入っていて電話があるかもしれんから」とゆっくり入れない。
いつもより遅くまで起きて、待って待って、最後には「みんな忙しかったんじゃろう」と言い聞かせて床につくのだ。
今年は、だから15日が敬老の日でよかったなぁと少し嬉しかったのだ。
だがこれもまた問題がある。来年になって、今年の手帳をひらいて「15日だったはずじゃが」とまた間違える老人が続出するからなのだ。
毎年、胸が痛む敬老の日。
ハッピーマンデー制度はやめて、敬老の日だけは15日に戻して欲しいと願う日となった。