夕方、携帯に電話が掛かって来たのを取ろうとしたが、ボタン操作がきかなくなってしまった。
さっきまで、何の問題もなく使っていたのに。
突然、フリーズ。
電源は入っているのに使えなくなってしまった。
ボタン操作が出来なくなるということは、呼び出し音が鳴って、今誰から電話が掛かっていますよということがわかっていながら電話が取れない。メールは、メールが届きましたよということが表示されるが、それが誰からのメールなのかがわからない。
これは困ったぞ。
夜中じゃなくてよかった。今なら間に合うかも・・・・と、急遽docomoショップへ行くことになったのだった。
今自分が使っているのはmova。FOMAに乗り替えられないのは未だにポケットボードを使用しているからで、ポケットボードはFOMAの端末では使えない。ポケットボードの在庫がなくなるまではmovaで頑張りたい。と、いう理由で「これを機にFOMAに替えられてはいかがでしょう」ムードに反発をし、修理してもらうことにしたのだった。
”もしかしたら、直らないかもしれませんが・・・”
そう言われたが、とりあえず今日から修理に出している間の約1週間、代替え機種で過ごすことになった。
「同じメーカーのものになりますので」
そう言って貸してもらったニュー携帯。
どうぞよろしくね。
しかし。
あぁあああっ。
短い返信を打つのに何でこんなに時間が掛かるのか。
携帯がかわれば、文化人は原始人に戻る。
「こ」
「ん」
「ば」
「ん」
「わ」
ち、ち、ちかれたびー。
瞬く間に私は原始人に、そして携帯を頑張って覚えているゴリラのみきちゃんになったのであった。
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2008年09月29日
9月ももうすぐ終わり。
今日は小雨。
空は晴れた日には水色をして、雲に覆われたら灰色に変わる。一面が灰色をしていたら、それはそれでまぶしいなと思う。
ついこの間まではあんなに暑い暑いと言っていたのに、時間と共に気温は確実に秋に移って行って。
少しだけ私もタンスの中の衣替えをする。
長袖さん、こんにちは。
新しい服に出会った時と、同じ気持ちで。
あなたも私を思い出した?
この部屋、久しぶりでしょう。
あったかいね。
ニットの手触りってこんな感じだったなと思い出したのだった。
2008年09月28日
中学生の頃、日曜日のお昼はよくAMラジオを聴いていた。
KBSラジオの確か「山崎弘士のGOGO電リク」というタイトルだったと思う。山崎弘士さんは「ガハハ」とよく笑う明るい人で、自称薄毛のおじさん。明るいおしゃべりが晴れた日曜のお昼時にぴったりで、私の好きなラジオ番組の一つだったのだ。
「リクエストは、京都075の・・・・番まで!」
「みなさんからのリクエスト、お待ちしています」
電話リクエストをしたのも、唯一この番組でのことだった。
リクエストの電話をかけるのって、ドキドキしたのだ。「どうしよう、繋がったら」という気持ち半分、でも繋がらないと残念に思ってまた掛けている自分が居る。
「もしもし、お電話ありがとうございます」
電話が繋がるとものすごく緊張をして、顔が熱くなったのだ。
リクエストはカーペンターズとか、そういった洋楽のポップス曲を伝えたと思うが、電話オペレーターのお姉さんから「何かメッセージはありますか」と尋ねられると、決まって緊張は最高潮に高まり「ないです」としか答えられなかった。
後にラジオの番組をさせてもらってわかったが、ほとんどの方がリクエストと共にメッセージを添えて下さっているのと、リクエストの採用はメッセージがあるのとないのとではやはり差が出るということなのだが、当時の私にはあれが精一杯の勇気ある行動だったのだ。
電話が通じたあとは、ずーっとラジオの前で自分のリクエストが読まれるんじゃないかとドキドキして待っていた。
次かも。
次かも。
そうして「次で最後の曲になります」と、そこでも採用はされず、番組が終わるとちょびっと残念な気分になりながらも、まだ午後の時間が残っているので次は何をしようかなと、またさっきのラジオのことを忘れていくというのが、私の日曜日だった。
「薄毛ながらも、まだかろうじて大丈夫」というそのあやうさも応援しがいがあった。
山崎弘士さんは今もKBSの顔。
HPでお姿を見たら、薄毛どころかツヤツヤのフサフサ。現在は素敵な被りものをされているご様子の山崎さんであった。
2008年09月27日
6時頃、買い物から帰って来たら小学生ぐらいの女の子3人が家のそばに居た。
「おうちに帰れるよね」
女の子達が話し掛けていたのは塀の上に居るねこちゃん、あれは近所の人なつっこいねこちゃんじゃないか。
今日飼い主の男の人が心配そうにねこを探している様子だったのを、部屋の中から見掛けていたから私も気になっていたのだ。この子達がどう関係していたのかは知らないが、小さい自転車が2台、ローラースルーゴーゴーみたいなものが1台乗り捨ててあった。
どこの子達なのかな。動物が好きみたいでダンボが部屋の中から吠えると今度は「チワワだ」と興味津々だった。
「どうぶつ、好きなの?」
「うん」
「ワンワン吠えてごめんね」
せっかく可愛いと言ってもらったのに、ダンボはぶさいくな顔で小さい女の子を相手に吠えまくっていた。
一旦荷物を台所に置きに行ってすぐに戻って来たが、もう女の子達は居なくなっていた。
かわりに飼い主の男の人が、丁度仕事から帰って来てねこちゃんを見つけたみたいでぎゅっと抱き締めている所だった。
「こんばんは」
男性はねこを地面に下ろすと、
「コイツ、3日程居なくなっちゃってたんですよ」
割と無口な人なのだが、めずらしくそう教えてくれた。
男性は今ここに居た女の子達には会わなかったようだった。あの子達がきっとねこちゃんのことを知っていたと思うのだが・・・・。
でも、まぁ元気にここに居るからよかった。
「コイツ、誰にでもついて行っちゃうんですよね」
「バカだから」
バカだからの言葉から、何故かしら男性が本当にねこちゃんのことを大事にしてことが伝わってきた。
心配していたんだろうなぁ・・・。
3日間、ねこちゃん、どこへ行っていたんでしょうね。
フェレットが脱走をして半日居場所がわからなくなっただけで、顔がハニワになるぐらい泣いた自分には、とてもじゃないがねこは飼えないなと思った。
ねこちゃん、ここのおうちがいちばん幸せだよ。
冒険はほどほどに。
それから知らない人にはついて行っちゃいけないよ。
まぁ、何はともあれよかった。
この家から洩れて来る灯りが今日はあったかく見えたのだった。
2008年09月26日
南青山まんだらにて、「服部祐民子とちんどんうさぎや」ライブ。うさぎやのunちゃんは去年祐民子ちゃんのライブで一緒に演奏をしたので、今日はまた久しぶりの再会演奏になるのだ。
本日の出演者は5人全てが女性。女性ばかりの楽屋は衣装や小物などが部屋に咲いた花のようで、それだけで明るくなる。
「この衣装、可愛いね」
「それ、どこで買うの」
今日はちんどんうさぎやさんと祐民子ちゃんの対バン形式なのだが、最後は5人で演奏をするのでその時だけは祐民子ちゃんと私はちょびっとだけ派手なグッズを身につける予定なのだ。
「コレなんか、似合うと思うよ〜」
「じゃ、コレにしようかな」
ちんどんうさぎやさんは文字通りちんどん屋さんで、普段は町やイベント会場を練り歩きながら演奏をしている。だから今日みたいに、ライブハウスで練り歩かないステージはめずらしいわけで、いつもは本番前は楽屋に居る私だが着替えを済ませて客席でライブを観ることにしたのだった。
ちんどんの歴史の紹介やちんどん屋さんと言えばこの曲という曲が聴けたり、誰でも知っている曲をちんどん風アレンジで演奏をしたり、それぞれの楽器の説明もあったり・・・。紙芝居を観に来た楽しい感覚になる。ちんどんの楽器ってどこで売っているんだろうと思っていたら、自分でその人ならではの仕様に作っていくのだそうだ。
「じゃぁここで、いつも外でやっているように、宣伝をしながら一曲聴いていただきましょう」
あ!
『本日発売!吉川みき「Reunion』
お手製の大きなポスターで、思わぬサプライズだった。今日は私のアルバム発売日。こんな風に宣伝をしてもらうだなんて全く知らなかったから、自分の知らないところでこんなことを進めていてくれたのかと思ったら、すごくあたたかい気持ちになった。
後でライブハウスで、ゲストではなく自分達のライブとして演奏するのは初めてという風に聞いたが、会場全体が温まるいいライブだった。普段から人の顔がよく見える場所で演奏をしてきた人達なんだと、ライブを観ていてすごく感じられた。
ちんどんうさぎやさんのライブの次が祐民子ちゃんのライブ。今年彼女は自分のギターと歌だけというライブをずっとやっている。黙々と練習をして一人きりのライブに挑んでいて、去年会った時とはまた違う強さみたいなものがあって、私はあれから1年で何か変われたかなぁと振り返ったりしたのだ。
その歌だけを持って、直球で向かって行く。
私はそういう人が好きだ。逆にそういう人じゃないと、接するだけで私自身の心が折れてしまうところがある。祐民子ちゃんは自分が信じられる歌歌いで、だからこそ自分の心も託して演奏が出来る。自分が作ったのではなくても、その歌に共鳴をしてこの曲を一緒に届けたいなと思うのだ。
今日は自分のアルバム「Reunion」も発売を迎えた。
仲間が居て自分が作られて行く。
仲間の存在は大きい。
「仲間」という言葉の意味が、自分の中で深く変わった気がしている。
2008年09月25日
預かってもらっていたダンボが家に帰ってきた。
犬というのは、ご主人さまを見つけると尻尾を振って走って来るのだと思っていたが、ダンボはちょっと違う。「こんにちは〜」といった感じで、友達ん家にでもやって来たような様子で家に入って来るのだった。
「ダンボ!」
<あ、どうも〜>
尻尾を振ってフレンドリーな感じではあるが、私との再会には特に盛り上がっている風でもなく・・・。ものすごく普通。
キミは随分自立をした犬ですね。
散歩の時もそうだ。ノソノソしているからとちょっと置いて先に行ったりしてみるのだが、そんな時のダンボは一瞬「あれ!置いて行っちゃうの?」といった顔でこっちを見るのだが、私の方に走っては来ない。「それなら。ま、いっか」と単独行動に切り替えてそのまま自分の好きにしているのだ。
<は〜、どっこいしょ。>
デンを座ったら早速くつろいで。
枕が変わると眠れないという人が居るが、私はヒトん家でもどこでもグッスリ眠れる。
キミもたくましくなりましたね。
初めて私のもとにやって来た頃のダンボとは、性格が変わってきたように思う。
ナイーブだった少年時代は遠い昔のこと。
犬も人間と同じ。
今やダンボも立派なおっちゃんに成長をした。
そう言えば、息や足も臭くなってきたと感じる今日この頃のダンボなのである。
2008年09月24日
ホテルチェックアウト後、実家に寄ってもらった。
先日、叔母に会った時に「おじいさんより上の代の人のことが知りたいなぁ」というようなことを話したら、「あんたのお父さんがよく知っているから、今度会った時に聞いてごらん」と言っていた。是非聞いてみたいところだが、果たして自分以外のことに興味のない父に教えてもらえるんだろうか。
父、しげおっちに会う時はちょびっとエネルギーを蓄えて行かないといけない。
父は私が知っている人間の中で一番「ワシの話」をする人間だ。それが面白い話だったらいいのだが、聞かされる内容は「ワシの体がしんどい話」が8割、残りの2割が「ワシの自慢話」。
意見をはさむことは父の法律により認められていないので、時間の許す限りひたすら聞き続ける耐久レースになるのだが、これがものすごく疲れるのだ。
今日も行ったら最初はえらく不機嫌で「具合いが悪い」から父の話は始まった。私は具合いが悪いとしんどくて話せなくなるのだが、父の場合はものすごくよくしゃべる。そしてしゃべっているうちにみるみる元気になるからわかりやすい。そして「ワシのしんどい話」から話は「ワシの自慢話」へ移り、なんとなく今日は私が知らないご先祖さんの話を聞く余地がありそうかな・・・と様子を伺いつつ、「あのさ、」と切り出してみたのだが・・・・
「もうワシの従兄弟達なんかみんな死んでおらんわ!」
と、少しズレた返事をしてそれでおしまいであった。
「そんなことより、あと何分話していいねん」
その後、父は妹に同居を提案されたが、気を遣うので同居はせえへんと言っていた。父は一体、誰にどういう気を遣うのかと尋ねたかったが、黙って聞いていた。そんな発言でもすればまたどれだけ長い「ワシがどれだけ人に気を遣う人間か」話を聞かされるかわからない。
うちの実家は大阪のはずれにある。
しかし、地球は今日もしげおっちを中心に回っているのであった。
2008年09月23日
京都の都雅都雅にてアウルとのライブ。
アウルのメンバーと知り合って、20年以上が過ぎた。
個人的な感覚としては、何故だかわからないが最近彼等が従兄弟のように思えてきてならない。久しぶりに会うと嬉しいのに照れ臭いといった、なんだか不思議な感じになるのだ。
従兄弟と言えば、私は子供の頃、夏休みに愛知の祖母の家に滞在をしている最後の方に、東京の従姉弟達がやってくるのをすごく楽しみにしていた。実際に会うとモジモジしてしまい、特に初日なんかは会話も出来ないのだが、心はとっても弾んでいた。
あぁ、あれと同じ感覚だ。
ここ数年は一年に1〜2度、アウルのメンバーとは東京か関西で会っている。会うと私は嬉しいくせに目もちゃんと見れずに、やや人見知りモードになっていたりする。これが女友達だったら、そういう感覚にはならずいきなり盛り上がれるのだが、アウルに対してはあの従姉弟達と会った時の感じになってしまうのだった。
ライブが終わると、従姉弟達が東京に帰る時、名残り惜しくてちょっぴり寂しく見送ったあれとまた同じ感覚になる。
理由はよくわからないが、いつからか彼等は私の中で従兄弟になった。
今度会うのは12月。
中津川と飯田で一緒にライブをする予定だ。
バイバイ、またね。
従兄弟達との楽しかった再会も終わり。
もっとたくさん話せばよかったな。
秋分の日に、夏休みの終わりの気持ちがよみがえったのだった。
2008年09月22日
大阪でアウルとのリハーサルがあるので、機材を積んだ車で移動をする。
私は大阪育ちなのだが、大阪と言っても道頓堀の辺りの景色とはほど遠い北摂エリア。山や川や田んぼがある郊外の大阪が思い出の地になる。だから私にとって「懐かしい!」のは高槻や茨木、千里ニュータウンや箕面、万博公園の辺りといったエリアなのだ。
なので「茨木インター」とか「吹田ジャンクション」といった他県の人に言っても全然通じないような場所こそ、個人的には反応をするのであった。
今日のアウルとのリハーサルは市内ではなく、この近畿道エリアにあるスタジオ、万博公園や2号線が見える辺りに来ると、一人興奮をしていた。
「すご〜〜い!」
何がすごいのかわからない。
が、私は興奮をしたり嬉しくなると「すご〜〜い!」と叫ぶ癖がある。
近畿道を通りながら、「すご〜〜い!」と手を叩き、淀川を渡りながらこれまた「すご〜〜い!」と喜び、走っている車のナンバーが「なにわ」「大阪」「和泉」であることに「すご〜〜い!」と笑っていた。
駐車場完備の大型ショッピングセンターがちょくちょく建っているのも郊外大阪の特徴で、これらを発見するだけでも「すご〜い!」と口にしてしまう。
生駒山が遠くに見えても「すご〜い」わけで、今日の私はすっかり感動モードに入っている。
リハーサルが終わって、京都のホテルに向かう道中は1号線にやはり興奮をし、立ち寄った「餃子の王将」でも「すご〜〜い!」となんだか知らないが喜んでおり、ついには「私が運転をしたい」とハンドルを握っていたのだった。
「八幡」「24号線」「宇治」「観月橋」・・・。
道路標識に興奮をする。そのまま、盛り上がってアウル京都組の二人を「宇治」「長岡京」までそれぞれ送って行ったら、さすがに最後はくたびれた。
でも。
<あぁ、関西にやって来たんだわ!>
ヤッホー、関西。
帰って来ましたわ。
う、うれぴー!
私はその土地の美味しい物でなく、道に反応をするタイプなのである。
2008年09月21日
明日からしばらく家を空けるので、今晩からダンボをY氏の息子さんに預かってもらった。
ダンボが家に居ないと、ちょっぴり部屋の温度が低く感じる。
髪にしていたヘアピンが”カラン”と床に落ちた。
シーーーン。
いつもなら、何かが床に落ちる音がすればダンボはどこに居ても飛んで来る。落ちたものを拾って私に渡すと、おやつがもらえるからだ。
シンと静かな床からヘアピンを拾いながら、<ダンボ、居ないんだなぁ>と、ちょっぴり寂しくなった。
子豚のダンボ。
今頃どうしているかしら。
車で連れて行ってもらう時に見送りに出たら、怯えた顔でブルブル震えていたよなぁ。
私に捨てられたと思って悲しんでいるかもしれない。
ごめんね。
明日からの準備をしながらダンボのことをあれこれ考えていると、ダンボの様子を書いたメールがY氏から届いた。
ダンボはY氏の家に着くなり息子さんのベッドでうんちをし、その後ベッドの上を陣取ってすっかり我が家のようにくつろいでいるということだった。
ありゃま。
寂しがって心を閉ざしているんじゃないかと心配していたら。
犬ってこんなに切り替えが早かったっけ。
まぁ、いっか。
私のことを忘れるぐらいあっさりしていてくれる方が、家を空ける私としても少しは気が楽になる。
ダンボちゃん、元気で待っていてね。
ダンボが居ない夜はちょっと寂しい。
胸、キュン。
それにしても。
現在「彼氏に会えなくて寂しい」といったフレーズが、自分から消えている気がする。パートナーは飼っているワンコに移行したんだなということを再確認したのであった。