「がんばれがんばれ、がんばれがんばれ。」
「あぁ〜っ、だめか。」
6時少し前に、隣りのベッドから声が聞こえて来た。
オリンピックを見ているのだろう。
だが6時までは病院は一応就寝時間、目覚めていたとしても静かに過ごすのがマナーではなかろうか。
朝から看護師さんに「洗濯してきて」と言って断られたりと、かなりの手強い主だが、私が部屋に居ないと思って今度はルームメイトに私の話をし始めた。
「吉川さんっていくつかしらね」
わ、私のこと?
「多分あたしと同じぐらいだとおもうんだけど」
ええっ?いや、どう考えても同世代ではないですよ。
「年下だったら悪いわね」
十分ショックを受けていますよ。
「ほら、いきなりいくつ?ってきけないじゃん」
丁度そこで看護師さんが主の所にやってきたので話が終わった。私はここに居ないということが前提になっているので、息を殺して横になっていたのだが、次に看護師さんは私のところにやってきたのだった。
看護師さんが去って…。
「なんだ、居たんだー」
と、カーテン越しに声がしたと思ったら続けざまに「いくつ?」と質問をされたのだった。
「えー、ずっと年下じゃないのー」
主は何故かしらすごく残念がっていたが、ショックなのは私の方なのだ。
悪い人ではないんだろうが、その後も知人に電話を掛けて用事を言いつけていたし、看護師さんを捕まえ世間話に持ち込んで、その話の流れから「あたし、関西人がダメなの」と語り出しひとしきり関西人をけなしていた。
私、関西人。
でも主の方がよっぽど「濃い」ですよ。
患者や看護師の年齢を複数、何故かマメに覚えている主が、隣りのベッドの私の出身地を尋ねて来る日はそう遠くはないと思うのだが…。
午後に、同じ筋無力症の患者さんのMさんがお見舞いに病院を訪ねて下さった。
「私と同じ病気の知人が居て…」という連絡を友人からもらったのは去年の末頃だったろうか。よく「知っている人で同じ病気の人が居る」という話をされる。そんな時大抵は勘違いで終わるのだが、ご本人とのやり取りで同病であることがわかった。
いつか会えたらいいなと思っていたが、まさか自分が入院している先に訪ねて頂くとは…。
初対面のはずなのに、同病繋がりというのは同郷繋がりと同じぐらい一気に心が開くというか、同郷繋がりよりもっと会える確率の低い仲間に会えたのは本当に嬉しかった。辛かった症状を笑い話に出来たり語り合える友が居る。それだけで心強くなれる。とてもいい時間だった。
部屋に帰ると主が居た。
気づかれないようにそーっとベッドに戻る。
だって、先生や看護師さん以外にも訪ねてきた友達のことも散々使い倒していたし、携帯でまた別の友人にもクリーニングに出しているものの引き取りを半ば強引に頼んでいた。そのお願いがまた細かい指示つきで、神経質なところも伺えるので、とにかく巻き込まれたくない。
私は常々「関西のおばちゃん」というのはこういうキャラの人を指すと思っている。関西弁かどうか、関西人かどうかが括りではない。使えるもんは使わな損やんか精神でゴリ押しをして来るんが「関西のおばちゃん」なんや。
テレビをつけるとどこもオリンピックの話題で埋め尽くされている。
大きな事件がないのは平和でいいことだ。
月別アーカイブ : 2012年7月
2012年07月30日
月曜日。朝一番に採血。
病院生活のサイクルにも慣れて、今週は検査の結果待ちがあるだけで特に検査の予定はない。
いつものように朝ご飯を食べ終えてひと息ついていた頃だった。
「吉川さん、今日は10時にお部屋移動になります。11階のB棟。もともとのご病気の神経内科の病棟にね、移りますんで、それまでにお荷物全部まとめておいて下さいね」
えぇーっ!
時刻は8時半。まぁ…暇人なんで10時までにお引越しの準備は出来るのだが、突然言われたことによってほっこりタイムも強制終了したのだ。
今いる病棟は脳神経外科病棟。入院時に他に空いている部屋がなかったので、ここの病棟でお世話になっていたのだ。もともと仮のベッドだったことはわかっていたが、お部屋移動があるとしたら血液内科病棟だと言われていた。だが、それは検査結果が出てからだと聞いていたので、この時期にまさかの神経内科病棟へのお引越しだとは思いもしなかった。
若干の入れ替わりがあったが、2人のルームメイトとは長く一緒の部屋で過ごして、会話はそんなにしなくても穏やかな友好関係が作れたいいお部屋だった。
入院中のお部屋の空気は全てルームメイトで色が作られる。姐御肌のご婦人が仕切る部屋が一番きつい。それに当たった回はヤンキーグループの下っ端になったような感じがしてちっともくつろげなくなるからなのだ。
どうか新しいお部屋に姐御が居ませんように。
そして転科の時間がやってきて…。一つ上の階の11階にお引越しをしたのだった。
お世話になります。よろしくお願いします。
今度は窓側のベッド、明治大学の高いビルと御茶ノ水駅周辺から神保町方面が眺められる景色のいい場所だ。同じお部屋の人達はみんなカーテンを締め切っているので、どんな人が患者さんなのかはわからない。
しばらくすると隣りのベッドから看護師さんとの会話が聞こえてきた。
「点滴すんの?あーだめだめ。右手はあたしの利き手だから、針は左手にしてちょうだい」
大きなダミ声。イヤな予感がする…。
幸い部屋には子分姐御が居ない様子。聞き役が居ないおかげで部屋は基本的に静かなのだが、反動で看護師さんや先生が来た時には質問だの頼みごとだのをしてなかなか帰してあげない。
やっと静かになったわ。
すると…
「おっとっとっと」
「あれ、取れない」
治療中で今一人で動けない姐御がどうやら物を落とした様子。
「あの、よければ取りましょうか」と声をかけたら「あ、だったら悪いんですけどね、ついでにそれも取って」と早速ジュースを指差された。
くわばら、くわばら。
足元側の二人の患者さんはどうやら若い女性の様子。気配が感じられず姐御の独り言にも返事をしない。
看護師さんも先生も姐御の所に来たら、「あたしの話」を聞かされ使いっ走りをされている。お願いごとは結構なわがままな内容なのだが、ゴリ押しでねじ伏せていて看護師さんも押され気味だ。姿は意外にも五分刈りに近いシヨートカットの体育の先生風。
まだルームメイトになって半日なのに、よくしゃべるので既にいろんな情報を知ってしまった。
8月一杯は入院になりそうなんだって。
仲良くなったら使いっ走りになっちゃう。
そうね。私も気配を消そう。
足元の二人に習って。
2012年07月29日
また静かな日曜日がやってきた。
もう7月も終わりなんだなぁ。
今日は検査も何もない日。
輸血でヘモグロビンの値は、今7.9に上がっているそうだ。また6台に下がるまでは数日間身体が楽に過ごせる穏やかなひとときだ。
このまま治ったりしないのかしら?
そんな錯覚に陥る。
アクリル絵の具で描き始めた絵も、もうすぐ完成だ。
ゆっくり描いてもなお時間が余る。
今日はAmazonで切り絵の本を注文した。
次は切り絵、モビールを完成させたいな。
オリンピックが始まって、テレビをつけるとどこかしらのチャンネルでオリンピックのダイジェストや中継がやっている。
病室でオリンピックを見るのは二回目。次はアテネで開催されるのか…と遠いことのように思った記憶がある。
イギリスにもいつか行ってみたい。
景色も気になるロンドンオリンピックなのだ。
2012年07月28日
昨日の骨髄穿刺の結果、今回の貧血はほぼ“赤芽球癆“という病気だということがわかったのだそうだ。
今までみたいに鉄分やビタミンが不足していたんじゃなかったとは…。
更にこの“赤芽球癆“が何故起こっているのかを探る為に外注で昨日採取したものを検査に出しているので、結果が戻って来るまであと一週間は入院をして下さいということだった。
結果が出たらそのまま入院治療になるか外来での治療になるかが決まって来るようだ。
“再生不良性貧血“、聞いたことはあった。というか、子供の頃見た山口百恵主演のドラマの中での恐ろしい病名だったんじゃないの。
医学の進歩のおかげで、恐らく当時より予後は良くなっているんだろうが、それにしても筋無力症より稀な病気に更にかかってしまう自分が呪わしい。だったら宝くじの高額当選も人生の中で是非経験させて欲しい、というのが正直な気持ちなのである。
入院してから直接の担当だったS先生は、月曜日から科が移動になるのだそうだ。研修医の先生達は2ヶ月か3ヶ月を区切りにいろんな科での実践を積む。患者の検査や治療方針はチームでの検討、決定で動いているので、いつも来てくれるからといって研修医の先生が決めているわけではないのだが、丁寧な説明と聞き取りをしてもらえて、うんと年下なのに頼れる先生だった。
お別れが寂しいなぁ…そんないい出会いがあったということをせめてかみしめよう。
今夜は隅田川の花火大会があるのだそうだ。それで思い出したが、隅田川花火大会は病室のテレビで一度、入院中に病室の窓から一度見ている。
「反対側のお部屋だと見えるんですけどね」
隣りのベッドの患者さんとの会話で看護師さんがそう言っていた。
夕食が終わって7時から9時の消灯時間までは静かで何もない時間になる。8時を回った頃にお茶を汲みに行ったら、反対側の空室になっている個室で一部屋、絶好の角度で花火が見える部屋があった。
「よく見えますよ」
患者さんに教えてもらって入れ替わりに私が中に入ると、とてもいい具合いにスカイツリーと花火が見えた。空中撮影をしているヘリがその上を3機飛んでいてそれがまるでホタルのよう。綺麗だった。高層階に住むと、窓のそばに立つだけでこんな景色が見えるのか。素晴らしいなぁ。
花火は患者さんをも繋ぐ。
部屋に戻ったら、ルームメイトの2人が立ち話をしていた。
「花火、見ました?」
まるで長い友達のような親しげな表情で話し掛けられた。
いつか。
花火の日に“みんな元気になって家に帰れますように“と願った。
今日も同じ。
みんなの期待を背負って晴れのカードを引いた強運の今夜の花火に願いをかけた。
2012年07月27日
「今日は大きな検査がありますけれど、頑張ってくださいね」
朝から何度かこう声を掛けてもらっている。
だが“大きな検査“という言葉に頑張る気持ちは萎んでいくばかり…。
あの恐怖の内視鏡検査も、“大きな“という言葉はついていなかった。
“大きな“ってどのぐらい?
どのぐらい痛いんですか。
今までに経験した痛かった検査や処置のことを思い出す。血漿交換の時のぶっとい針を刺されたあれは相当痛かった。それに先日の内視鏡もいずれも痛かったし、ある日突然激痛に襲われた結石も相当な地獄だった。手術直後に目が覚めた後は全身苦痛だったし、普段の採血だって毎回痛みに対する恐怖はある。
痛いことランキングではどのあたりに来るのか。
朝ご飯を終えると気分がどんよりしてきたのだった。
予定の10時から遅れること約30分。看護師さんに先生合わせて6〜7人に囲まれるという物々しい雰囲気の中、病室のベッドの上で骨髄穿刺は始まった。
麻酔を打ったあとに、うつ伏せになっているので見えないが
「ちょっと痛いですよ」
が、合図なんだろう。ゴリゴリと押される鈍く嫌な感じがしたと思ったら、ツーンとした痛みがした。
んんんんん〜〜っ。
生検も含めて30分弱。
はい、もう終わりですよ。
おしまい?苦行は終わったのですか?
ひゃーっ、はふぅ〜っ。
内視鏡検査より地獄度数はうんと低く、終わったらとっても幸せな気持ちになった。
結果は今日じゅうにはわからないかもしれないけれど、また夜に伺いますねと先生は言っていた。だが、今朝始めて先生の口から、私の病名で今一番疑わしいとされているのは「赤芽球癆」という病気だという言葉が出た。
後で調べたら、再生不良性貧血の中でも特殊な型で、赤血球だけが減るのだそうだ。貧血に悩むようになってから、私なりにネットで調べてきたが、すると暗い気分になることが多かったので、もうなるべく考えないようにしていた。まだ確定診断ではないのではっきり病名を教えてもらうまでは何とも言えないが、とにかく検査は細かかったし、沢山ある病気の中から原因を突き止める過程をやはり凄いなぁと思う。
夕方になり、夜になり…。
先生が今日の結果を何か報告しに来てくれるかもしれない…と、病室を出る用事は極力控えたけれど、今日は結局先生に会えなかった。
二週間前、歩くのもやっとだった。
それでもまさか入院になるとは思いもしなかった。
症状がひどい時というのは判断力も失われている気がする。今思えば洗い物も出来なくなっていたんだから、入院してもおかしくはなかったなぁと思う。
ニュースでは今日が各地でも猛暑の一日だったと伝えている。
それがピンと来ないのもまた病院生活の特徴の一つだ。
2012年07月26日
今日は少し歩くだけでも息切れがする。赤血球がまた減っているのだろう。
近々輸血があるといることなので、もうしばらくの我慢だ。と、思っていたら朝の担当の看護師さんから、「今日は輸血をする予定が入っていますよ」と、聞かされた。
輸血を受けると一時的ではあるが、「あれ?私なんで入院しているのかしら?」と思うぐらい元気になる。なのであとでこっそり病院を出て病院前の郵便局に家賃の振り込みに行ってこようかしら。院外には許可なく出てはいけないのだが、郵便局はほぼ同じ敷地といっていい程至近にある。
お昼ご飯を食べ終わったら輸血が始まった。血液型はA型のプラス。2単位280mlをゆっくり時間をかけて点滴で入れるのだそうだ。
「ピッ」
患者のネームバンドにQRコードがついていて、輸血のパックも「ピッ」と読み取るとパソコンにデータが現れる。
まるでレジ。
そう言えば最初の入院では、携帯も使えないのが当たり前だったのに、今は携帯がかなり社会との繋がりを担ってくれているので、隔離された場所にいる感じはちっともしない。これはとっても入院患者には助かることだ。
輸血は驚くほど効果がすぐに出る。頭痛がなくなり、息切れがなくなり、身体が一気に軽くなる。
これで完治だったらいいのになぁ。
夕方、先生から「明日の朝、骨髄穿刺をやることになったので、あとでまた説明に伺いますね」と声を掛けられた。今朝の段階では、近々検査の予定ではあるけれどまだ日にちは出ていないと聞いていたので、早く決まってよかった。
骨髄穿刺を受けたら、多分原因がほぼわかるとのこと。全く見えなかった予定がぼんやり輪郭を帯びてきた気がする。
「明日は大きな検査が入っていますね」
看護師さんに声を掛けられる。
ええっっ⁉
大きな検査なんですか。骨髄穿刺は。
確かに今回も「怖い紙」にサインはしたが、同じお部屋の患者さん二人が病室で受けていたので、あまり気にしていなかった。
どんより。
だが、この骨髄穿刺で今回の赤血球の減少の原因に辿りつくのだろう。
検査が全て終わって原因が特定されるまで、先生は「かもしれない」話は一言も言わない。何度か原因について会話の中で尋ねてみたのだが、話を聞きだすことは出来なかった。
何だろうなぁ。
考えてみたり、考えるのをやめたり。
でもきっと原因を突き止めてもらって、また日常生活に戻してもらえると信じるのだ。
同じお部屋の患者さん達も、一筋縄では行かない病気を抱えた人ばかり。私より若い女性二人が今はルームメイトだが、泣き言一つ言わず朗らかに過ごしている。
信じる力が弱くなる日も含めて、全て私自身。
どんな時も光の差す方に顔を向けることが出来ますように。
大好きなお花や動物達が、日々そうして暮らしているのと同じように。
2012年07月25日
朝ご飯を食べた後、シャワーを浴びたら今日は息切れがした。
また赤血球が減っているんだろうなぁ。今朝も採血があったので、あとでヘモグロビンの数値を教えてもらえるだろう。
午後になって先生から聞いた数値は6.3。相変わらず赤血球が下がっているので、そろそろまた輸血を検討していますということだった。今週中に輸血を受けることになりそうだ。
今日は骨髄穿刺を受ける為の、麻酔薬のアレルギーテストをあとでするということだった。キシロカインは使わずに別の麻酔薬で行く予定なのだそうだ。麻酔薬が決まれば骨髄穿刺を受けて、その後血液内科に移動しての治療になるかもしれないとのことだった。
夕方になって、三本の注射を使ってアレルギーがないかどうかのテストを受けた。
アレルギーテストの結果待ちの時に、今だいたいいくつかの原因まで絞れて来ているということを教えてもらったが、その先の具体的な単語までは聞くことは出来なかった。
結果はクリア。よかったのだ。
今日から病室でアクリル絵の具で絵を描いている。イタリア旅行で行ったブラーノ島の家並みがあまりに可愛くて、いつか絵に残せたらいいなと、前に3号サイズのキャンバスボードを買っていたのだ。
自分自身が感動をした景色や大好きなものは、決して売っていない。絵が本当に下手くそな私だが、どうしても絵にしたいものは自分で根性で描けばいい、と思うようになった。売り物でも何でもないので、自分の中で落としどころが見つかればそれでよし。
今回の入院は今までより身体は元気なので、暇を持て余すようになった。
思わぬ絵を描く時間を得た。
何かをつくることが好きだ。
楽しく鮮やかな絵に仕上げたい。
2012年07月24日
昨日の採血の結果、ヘモグロビンはまた少し下がって6.8になっていた。
尿検査も院内では出来ないもっと細かい検査を外注で出しているということで、あとはやはり骨髄穿刺を受けるのが次の検査になるということだった。
本当は明日の予定だったのだが、キシロカインアレルギーの疑いで一旦白紙に戻ってしまった。
麻酔の方法を今検討中ということで、結論が出ればまた予定が見えて来るとは思うのだが…。
ずっと前に入院をしていた病院では、トイレの脇の小部屋には患者さんの蓄尿の瓶がズラッと並んでいた。それらはまるで梅酒を作っている瓶が沢山並んでいるかのような景色だったが、医療機器もあれから進歩したのか、今居る病棟では洗濯機をひと回り小さくしたような器械が管理を担っている様子。
「おなまえをかくにんしてください」
しばらくすると洗濯機の蓋が開いて、「にょうをいれてください」
と、宇宙人のような声で言うのだった。
「ふたをしめます」
そのあとは、ギー、ガッタン…という器械音がして、最後に量ともう一つ何かの値が表示され、そのあと”洗浄中”という表示が出て脱水機が回る音がしたら一回のお仕事は終了といった形になる。
よく出来てるよなぁ。
一体誰が思いついて開発がされていくのかわからないが、こういった「進化」のアイデアについて、何一つ思いついたことのない私はただただ感心するのだ。
梅酒がズラリ、という時代はもうないのかもしれない。
病室近くの病棟の廊下から見えるのは電気街から少し外れた秋葉原の街。マンションがいくつか見えて、人びとの暮らしが遠くに灯りとなって見える。
9時の消灯時間にも慣れて来た。
都会の高い塔の上にチカチカと瞬く、赤いランプが私の好きな夜の明かり。
でも同じぐらい、人びとの暮らしの明かりが好きだ。
2012年07月23日
また新しい一週間が始まった。
同じ部屋の患者さんが別の病棟に移動をして、手術を終えた患者さんが新しく入って来た。
今居る部屋は4人部屋で、一人のスペースも比較的ゆったりしている。前回の入院の時は一日中大声でおしゃべりをしている強烈な患者さんが二人居る、という過酷な部屋に入ったが、ここはとても静かで全員がカーテンを締め切りにしているので、個室のような感じがする。
ただ、会話は聞こえてきてしまうので、病状説明などが全て筒抜けなのだ。今日は足元側の患者さんの病気の状態があまりいいものでないことまでわかってしまったので少し暗い気分になった。
今日の検査は採血と尿検査のみ。
それでも、ここからいろんなことがわかるのだろう。
だいたい、時代が昔だったらもう私はとうの昔に死んでいた。今回の貧血にしたって輸血をして底上げしてもらってもまだ今も貧血は進んでいるのだから、これもまた死んでいたはずなのだ。今の時代に生まれたからこうしてまだお腹が空いたり、悲しいなと思ったりする余力のあるところにいられるのである。
移動売店がやってきたので、ゾンビはまた買い物に出掛けた。
カロリー0の飴ちゃんが売っていたので、それをふた袋。あとはペットボトルの麦茶を一本買った。
すると
「まぁっ、こんなに一杯…。ありがとうございます‼」
…と、言われとても恥ずかしかった。
そんなに、買い物したのかしら…私。
院内には、この人どこが悪いのかしら?という風に見える患者が居るが、私もきっとそう見えるクチだ。
”いっぱい買っていかはるおばちゃん”は、これでも病気に悩んでいるのである。
カロリー0の飴ちゃんは、美味しかった。内緒で口に頬張ると秘密のあま〜い味がした。
2012年07月22日
朝。
夕べはいろいろ心細くなってしまったが、目が覚めたらなんだかリセットされていた。
素晴らしい。眠くなって寝ただけなのに。
また朝ごはんを楽しみに待つ家畜モードに戻っていた。
これでいいのだ!
病気のことは先生がなんとかしてくれる。お任せをして…あと私は…
移動売店で買ったクロスワードパズル本を頑張って解こう。
日曜日も土曜日と同じく病棟は、検査もなく静かだ。午後になると同じ部屋の患者さんそれぞれにポツリポツリと面会に家族が訪ねて来て、病室の中が温まる感じがいいなと思う。
私も入院直後に大阪に住む妹に、一応入院したというメールを送ったのだが妹からのメールは一言「お父さんには?」の一行だけであった。父に入院のことは話した方がいいの?ということなんだろうが、昔から妹はその行動や言動を箇条書きにしたら「なんて冷たいの」と言われそうなキャラで、父や母からも冷たいと言われていた。
だが今思えば吉川家は全員変わりもんではなかったか。電話を掛けたら「今、テレビみとんねん!」と言って電話を切る父にしてこの娘あり、なのである。
明日からまた検査がはじまる。
研修医の先生が丁寧に接してくれるのが、胸にあったかい灯をともしてくれている。
いつ休んでいるのかなあ。
入院をしてから顔を合わせない日がない。
誠実な人に会うと救われる。
それが幾つの人であっても。
矛盾の多い社会。だがそれでも崩壊しないのは、誠実な人がどこかで支えとなって砦となっているからなのだ。