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投稿日:2010年08月19日

2010年08月19日

私は真面目人間、なのだそうだ。
そうなのか。
しかもよく笑いながら「真面目だから」と言われる。
そうなのか。
まぁ親からはだらしないとさんざん言われていたので、自分は気を抜いたらすぐだらしなくなってしまうので気をつけようとは思っている。神経質な面はあるが、真面目というのではないと思っているのだ。
だが、真面目かもしれない。
高校生の頃に「私はスタジオミュージシャンになりたい」という夢を持ち、勝手に自分で「夢に向かって頑張るのなら恋愛は禁止」と恋愛禁止令を出していたっけ。で、いちいち私は何かあるごとに真面目に考えて真面目に答えを出してきたが、今思えばことごとくとんちんかんなベクトルの「真面目」だったような気がする。そして「真面目に考えて真面目に答えを出した」ことによって、本当は神様が勧めてくれていた道だったのをゆがめてきたことは多々あったんではないだろうか。それどころか、ことごとく「真面目に考えた」ことによってあさってな方向へ進んで来たのかもしれない。
先日、レンタルDVD屋さんに行ったら「何でもイエスと答えたら、人生がこうなった!」みたいなアメリカンドリーム的映画を見つけた。
もしそのような選択をしていたら、私は今このような状態ではなかっただろう。
どんな風になっていたのかなぁ。
少し興味がある。
自分の今の人生に心から満足しているかと尋ねられたら、基本的に満足している。だが、もうちょっとなんとか出来た場面は確かにあったのに、自分の力不足で逃した分岐点はある。というのが私自身の本音で、多分それは原因は「真面目に深く考え過ぎた」ところにあったのではないかと思う。これは恐らく、私だけでなく他の人にも言えることだと思う。真面目に考えすぎて裏目に出てしまったことというのはあるのではないか。で、どうすればよかったのかと言えば、その時に自分で考えるのをやめて天にまかせてみるという、木屑が川に流れていくような風にして身を預けてみれば面白い結果に導かれたんじゃないかと思うのだ。
人生や運命は自分が真面目に考えて対処する分岐点と、身をあずけてみて流れにゆだねてみる分岐点の二つで駒を進めて行くような気がしている。
真面目に真面目に考えてみて・・・・。
たまには木屑になって川を浮かんでプカプカ行ってみようか。
どっちにしても海に流れる。
木屑の方が案外沈まずに行けることだってあるのだ。