月別アーカイブ : 2010年8月

投稿日:2010年08月31日

2010年08月31日

8月31日は「ヤサイの日」なのだそうだ。
私はお寿司もほとんど食べない。ウニやホタテも食べない。生魚や生肉も食べない。貝類も食べないし、モツや焼き鳥も食べない。食べ物として私が興味があるのはひたすら炭水化物と野菜なのだ。
ピーマンを生で食べろと言われても、好きじゃないが食べられるし、にんじんも生で食べることは出来る。野菜などの臭さは気にならない。多少苦くても平気なのだが、動物っぽい臭さが食べ物に感じられたら食べられなくなってしまう。なんだかそういう図式がある。
唯一、きゅうりだけが「カブトムシ」の味がするのだが・・・・。だが美味しく食べられる。
もうすぐ、夏が終わると。
外だけじゃなくって、スーパーの中も季節が変わる。
夏野菜を今のうちにモリモリ食べるのだ。


投稿日:2010年08月30日

2010年08月30日

8月も終わり、なのだ。
最近、女性誌は美味しいお店特集や雑貨特集や占い特集などの定番以外に、パワースポット特集や日帰り一人旅などの特集も多くなったのだ。
少し前に入手していたのがとある女性誌の「かわいい電車の旅」特集。
ずっと前にお仕事で行った福井にて。仕事が終わって帰るフリをしてマネージャーさんと別れ、そのあと乗車変更をして北陸本線から一泊して大糸線のルートで東京に戻ったことがあったが、その時の行き当たりばったりトコトコ電車の旅がすんごく面白かった。
陶芸の町、益子に行ってみたいなぁ。
房総半島の輪郭を走る内房線や外房線もいいし、ムーミン列車が走っているといういすみ鉄道もいいなと思う。京都の嵐山へ行く嵐電に乗ったときのあのワクワク感が、時々とっても恋しくなることがあって、トコトコ列車は緑がたくさんある季節が似合う気がしている。
古い木造の無人駅に降りてみる。
なんにもなくて、だけどガッカリしない。
都会に住む人間の単なる現実逃避のひとときかもしれないけれど、考えているうちに日だけが過ぎていった。
トコトコ列車に乗って。
気になった駅でブラり降りてみたい。
そう思いながら居眠りをしてしまい・・・・・時間がワープして、なつかしい田舎のおばあちゃん家にもしかしたら着くのかもしれない。


投稿日:2010年08月29日

2010年08月29日

愛とは与えるもの。本物の愛は見返りを求めてはいけない。
「愛について」の教え、今まで私が目にしてきたものは、こういった言葉だ。
だけど。
愛って本当に与えるものなんだろうか。
違う。
あっているけれど、
やっぱり私の中ではそれが正解じゃない。
愛はもらったことでその人の心を大きく動かすもの。そして与えている人は恐らく与えていることに気づいてはいないものなのではないだろうか。
そう私は思う。
そしてもらった人がリアルタイムで気づける場合もある。ずいぶん時間が経って気づく場合もあるし、とうとう気がつかないまま一生を終えることだってあるだろう。でも少なくとも「愛」は厳格な言葉で、「@@しなければならない」ような言葉で定義づけられるものではないのではないかと思うようになった。
今日はいつもと変わらないピアノのレッスンだった。
9月はMちゃんが実習でお休みをするので、今日は10月の予定を決めるはずだったのだが、今後の自分の治療のことがあるので、それをお話して次のレッスン日が決められないことだけは伝えないといけないという、それだけがいつもと違うことだった。
さっきまでいつものように笑ってそこにいたMちゃんの目からポロポロっと涙がこぼれ落ちた。
<ごめんごめん、なんか暗い話になっちゃったよね>
ごめんね。
でも
ありがとう。
言葉がない時間、Mちゃんの心がたくさん私の胸に聞こえてきた。
その涙はあたたかい想いとなって、私の心を瞬時に何も怖いものはない状態にしてくれた。
頑張ろう。大丈夫、めげずに行こう。
そんな気持ちになった時、いつもそこに誰かが自分にくれた愛がある。
何かしらの形で。
元気になったら、少しでも返して行けたらいいなと思う。
だから頑張れることがきっとある。
愛ある人になりたいのなら、誰かに与えることを考えるより、まず自分がもらっている愛に少しでも多く気づけた方がいい。
自分を大事に出来る。
今日を大事に出来る。
周りの人も大事に出来る。
愛を知れば、いろんなものを大事に出来るのだと思う。


投稿日:2010年08月28日

2010年08月28日

テレビのコマーシャルで東京サマーランドという遊園地やプールなどの施設がある大きなレジャーランドのCMをたまに見る。
い、い、行きたい〜〜〜〜。
「夜9時まで」とCMは言っている。
夏は遊園地が夜も開いていて、夏の夜の遊園地に遊びに行くということは子供の頃からワクワクすることだったのだ。
場所は八王子にあるらしく、そこからバスに乗って行くところなのでウチからはちょっと時間がかかる位置にある。
ウォーキングをしに近所のプールには一人で行けるのだが、電車に乗って遠出をしてそこで遊園地に一人で入って、その上ファミリープールで楽しむということはまだ未経験なので、ちょっと「じゃぁ行ってみよう」という風には行けない。さすがの私も一人で流れるプールでプカプカ浮かんで周遊するのは侘しくなるかもしれない。
他には、一人でウォータースライダーを滑りに行く。順番を待っている時に、下で友達が待っているようなフリをして手を振ってみたりする。売店にソフトクリームを買いに行くのも一人。波のプールでも一人。
遊園地の方に行ってみたとしよう。
遊園地の乗り物はだいたいが二人仕様になっているのでたいがい寂しいが、フライングカーペットに乗ったあとに吐きそうになっても、一人でベンチで無言のまま休むことになるのか・・・。「きゃ〜怖かった!」「楽しかった」とか発する言葉がなく誰とも話さないで遊園地の中に居ることがちょっと不自然な気がする。富士急ハイランドには60分掛かって歩いて回るすごく怖いお化け屋敷があるそうだが、それこそ一人でなんか絶対に行けないのだ。
しかし、東京サマーランドってとっても広そうだ。
園内地図を見ていたら楽しそうなところがいっぱいある。
一人で行って楽しめるエリアがないのが残念。
一人だとどうも座りが悪い楽しい場所ってある。
映画も買い物もはとバスもぶらり旅も立ち食いそばもOK。
なのに・・・・。
あそこも、ここも、こっちも、そっちも!!!
東京サマーランドの園内地図を見て、こんなに楽しそうなのに何で一人だと行きにくい感じがするんだろう・・・・とおしまいにはなんだか恨めしくなってきたのであった。


投稿日:2010年08月27日

2010年08月27日

今年の夏は病気のことでちょっと楽しめないまま過ぎてしまったが、”考えてもしょうがないことは考えない”を、なるべく頭に置いてそれを気にして過ごすことにしよう。
これは意識してそうすることによって、ちょっとは鍛えられて程度の差はあるが誰でも出来るようになるのだそうだ。仕事をする。趣味に没頭する。思い切り遊ぶ。集中力を別のところに持っていけたら、頭が自動切り替えをしてくれて本当に切り替わるのだから、脳ってよく出来ているなぁと思う。
今日の私の仕事は、このあとの予定について連絡をすることがメインとなる。直接お話をいただいていた人にはその人に、間接的にお話をいただいていた人にはやはりその担当の方に。私の方の詳しい日程がわからないので、確実なことが話せないのだが、そんな中でも事情を前もって話をするのがいいと判断をした。唯一の特技である音楽を手放すのはやっぱり切ないが、自分が出来ない可能性があるのなら、なるべく早く誰かいい人にバトンタッチをすることが大事だ。
夜は人に会った。ひどく落ち込んだ時、一人でじっとして過ごすことで気持ちの整理をつけることもあるが、誰かに会うと違う形で整理がつくことがある。風通しがよくなりよどんだ空気が入れ替わる。一人ではなかなか作れない状況だ。
窓を開けて風がスーーっと通って行くのが気持ちよかったから、それで今の家に引っ越すことを決めたっけ。
よどんだら風通しをよくする。
工夫しながら毎日を送ることには何の変わりもないのだ。


投稿日:2010年08月26日

2010年08月26日

呼吸器外科の外来に行く。
エレベーターのところで場所を探そうと院内地図を見るのだが、いくら探してもない。結局わからないので職員さんに聞いたら、2Fの胸部外科というところに行って下さいということで2Fに行く。
患者さんがたくさん座っているのかと思ったら、おじいさんが一人ポツンと座っているだけ。4Fはいつも患者さんでいっぱいなのに、胸部外科でお世話になる患者さんが少ないんだと思うと心細くなる。
名前を呼ばれて入ると先日撮ったと思われる画像がたくさん並んでいた。
「胸腺腫ですね」
今、5〜6センチぐらいになっているらしい。
外科の先生は手術が中心になるので、治療方法としては手術なのだそうだ。
「全部取りきれるかどうかは、わからないです。それは約束は出来ません。ですが、出来るだけ取るようにはします」
私の胸腺腫は初めての手術の時に浸潤型といって、周りの組織に広がるタイプのものだとわかった。だから綺麗に取ったつもりでも小さな細胞が残っていて、そこからまた再発することがあるらしい。
「まずは、まぁガンですからね」
「先に全身と頭への転移を調べてから、細かい治療方法を決めます」
昔はこんなに簡単に「ガン」という単語って使われない時代があったよなぁと思いながら聞く。
手術なんだよなぁ。
ためらうことなくポンポンと「手術」「がん」「転移」「検査」という単語が出てくるのでわかりやすいと言えばわかりやすいが、一気に心細くなってきた。診察室に入って説明を受けたかと思うと、先生は院内の電話でPET検査と頭のMRI検査の予約のことで話をしていた。
「一番近いところで予約を取りたいんだけど」
検査予定もその場でどんどん決めて、次の診察の9月9日というところまで、あっという間に決めてしまった。でも私としては、これぐらいトントンと進めてもらう方がもうここまで来たらありがたい。
ところで私の9月、10月の予定、どうしたらいいんだろう。
ギリギリまで引っ張って、ごめん出来なくなったということだけは避けたい。先生に相談をしたら、う〜んと言ったあとで「出来ればやめておいた方がいいでしょう」とこれまたわかりやすくハッキリ提案をされた。
8月ももうすぐ終わり。
大好きな秋が待っていると思っていたけれど、また病院の秋なのか。
「じゃぁ、まず検査ですね」
ありがとうございますと言って診察室を出た。
病気のことになると私は本当に心が小さくなる。別に気にしないでおけばいいじゃんという自分がどうしても自分の中に探せなくなる。
小さい人間だなぁと思う。
ただ心細くなる。
”考えても仕方のないことは考えない”スイッチがあればいいのに。
病気のことになると、このスイッチがなくなってしまう。
スイッチ、売っていたらいいのにな。
まぁまぁ、ちょっとは自分に起きた出来事を受け止める容量は頑張って大きくしてきたつもりだったが、やっぱりポロっと涙が出た。一つ涙が出たらあとはポロポロとつながってこぼれて声だけが出ずに泣けてきた。


投稿日:2010年08月25日

2010年08月25日

外来日。
神経内科というのが私の持病の重症筋無力症を診てもらう科なのだが、あまり病院に縁のない人は神経内科という診療科は耳慣れないかもしれない。
今日は月曜日の造影剤を入れたCTの検査結果を聞く日なのだが、名前を呼ばれて中に入るとやはり腫瘍はあり、先生の話では胸腺腫の再発だろうということだった。3年前にも小さなものがあり、それが大きくなったかまた別のものが出来たのかはわからないが、今後検査をして治療を決めましょうという説明を受けた。
よくわからないがこのあとは、神経内科だけではなく呼吸器外科の医師が必要となる治療になるようで、また明日あらためて今度は呼吸器外科で診てもらうことになった。
気のせいかな。
6月半ばに撮ったレントゲン写真の時より、なんだか大きくなっている気がするのだけど。
気にしても仕方がない。
今日はだいたいのことは察して来た。
明日はまた病院に来るのかぁ。
でも来る度に、今まで原因もわからずにいたことにようやく答えが出てきている。
少なくとも滞った状態から少しずつ何かが進んでいるには違いない。
トンネルを抜けたら希望の光があるといいな。
明日はまた外来日。


投稿日:2010年08月24日

2010年08月24日

大学生の頃、今位の時期はサークルの夏合宿に行っていた頃だ。
二回生以降は夏合宿は志賀高原のペンションを借り切って4泊5日とかそれぐらいの日程で合宿が行われていた。私が所属していた軽音楽部の部員はだいたい40〜50名で、大型バスが一台と上回生の車数台で移動をし、大学時代の私の夏の最後の思い出はこの軽音楽部の夏合宿だったのだ。
現地のペンションは貸し切りなので、普通の防音施設もない部屋がスタジオになる。着いたら3つか4つの簡易スタジオを部員で楽器を入れて合宿用のスタジオの出来上がり、その日から朝から晩まで部員達が練習をするのが合宿だった。運動部のしごきとは違って、軽音楽部は「練習、いやだなぁ」というのがなく、練習時間の割当てが少ない方が文句が出る。今思えばあんなに夢中になってよく全員が練習に明け暮れたなぁと思う。「サボりたい」というのがないめずらしい合宿だったのだ。
夏の志賀高原は暑さがそれほどでもなく、山独特のひんやり涼しい空気があった。残暑の頃の日差しと緑の匂いがして、すごく大人に思えた4回生が「最後の夏」を思い切り悔いなく楽しんで過ごしているのが感じられると、少し寂しく思えたのだ。もうすぐ居なくなってしまう蝉達のように、精一杯羽根を鳴らしているそんな感じがした。
「俺はアイツとは合わんわ」
小さな人間関係のこじれや派閥もあったし。
青臭い話で真剣に語りあったりもした。
それらは今からすれば本当に取るに足らないことばかり。
でもあっているか間違っているか、大人で冷静な判断が出来ることよりも、当時自分が真面目に考えていることを一歩足を踏み出して声に出来たことが何より素晴らしかった。
母校のうんと後輩達は今年も夏合宿の頃なんだろうか。
精一杯鳴く蝉と同じぐらい今に心傾けて。
処暑を過ぎて今年の夏もゆっくり終わりへと向かっている。


投稿日:2010年08月23日

2010年08月23日

造影剤を入れてのCTの検査を受ける。
二週間前もCTの検査を受けたがその時は造影剤も入れず、ただ「念のため」に受けた検査だったのであまり緊張感もなくここに来たなぁと思い出す。でも今日はちょっと違う。何かがあるのを「確定診断」に近づけるための再検査。そりゃぁ、あったものが急になくなることはないだろう。何かあるのを確実に把握するために受ける検査なのだと思うと、やっぱり気が重くなる。
「では、着替えてこちらのお部屋でお待ち下さいね」
看護師さんは優しい対応だが、窓のない2帖ほどの個室で順番を待つのはどうも空気が重たい。隣りの個室の男性が呼ばれて、次が私かと思ったら、そうではないらしい。二人後から来た人が先に呼ばれて、私はそのあとになった。咳が止まらないおじいさんが呼ばれて検査室に行くのが聞こえたら、なんだか切なくなった。
私の番が来た。
造影剤を入れて、技師さんが出て行ったあとは機械のベッドに一人残されて、機械の発するロボット音声に私は従うだけだ。
「息を吸って」
「止めてください」
「楽にしてください」
あぁ、またこの声を聞くことになるとは。
被爆が少しはある検査なので、技師さんたちは検査中はここには居ない。痛くもない寝ているだけの検査だがひとりぼっちの感じがして心細くなるので、やっぱり好きになれない。
健康っていいな。
私が一番欲しいものは健康だ。これはもう10年前からゆらがない。仕事がうまく行かなかったときでも、「元気だったら何でも出来るし、別にいっか」とひどく落ち込むことはなくなったし、誰かが落ち込んでいても「元気でいれば大丈夫」と心の底からエールを送れる。
健康なんて別にいらないという人が居たら私は一番にもらいに行く。
お金で買えるものは、結局は全て微々たる幸せなんだろう。
お金で買えないものは、お金がいくらあっても買えないほど価値のあるものなのだ。


投稿日:2010年08月22日

2010年08月22日

チャーガ茶というのを買って飲み始めた。
別名カバノアナタケ茶といって、チャーガとは白樺に寄生するキノコなのだそうだ。白樺の樹液を養分にして大きくなって、最後は白樺の木を枯らしてしまう白樺にとってはガンなのだが、この成分が身体にすごくよくて幻のお茶とされているらしいのだ。
「黒いダイヤ」と呼ばれて古くからロシアでは万病の薬として用いられていたのだそうだ。白樺は日本にもあるが、生育の条件的にはロシアのチャーガが最高級とされていて、チャーガ茶と言えば「ロシア産」と産地がつけられているほどだ。
人間の身体は活性酸素というものが病気のもとなのだそうだ。この活性酸素を除去する率がとても高いのがことチャーガ茶なのだそうで、腫瘍を小さくする「かも」という文章にひかれてそれで購入してみたのだった。これを一日に500ml〜1Lぐらい飲み続けると、ダイエットしたい人にはダイエット効果が、免疫力がつくだけでなく「ガンが消えた!」ということもあるらしい。
色は麦茶と同じような濃い色なのだが、クセのある味かと思えば全くクセがない。むしろ味がなさすぎるぐらいで、かろうじて薄いソバ茶の味がするようなしないような、そんな感じの味だったので、しばらく続けられるかもしれないなぁと思う。
私が子供の頃、家ではこういった健康食品がよく置いてあったのだ。母が病気がちだったので、@@がいいと聞けば@@を買い、XXがいいと聞けばXXが台所のテーブルの上に置かれ、その度に「これが身体にいいんだから、飲みなさい」と勧められたっけ。
子供心に「健康になるという言葉に弱い母親だなぁ。」「あれこれ買って漂流しつづけているけれど、私はそんな大人にはならないぞ。」と思っていたのだ。それが今や母と同じように、あれがいいと聞けば買って、これがいいと聞けばこれを買って・・・と全く同じことをしているからおかしなものだ。
「チャーガ茶って知ってる?」
今の私の流行はチャーガ茶。
「身体にいいんだって!だから買って飲んで!」
また周りの人達に勧めている。
あぁ、随分前に自分のメールアドレスを使って健康食品を勧めている迷惑メールを受け取ったことがあった。迷惑メールではなく、私からの本物のメールかと思われてもおかしくない、微妙なラインにあるメールだなと今は思う。
どんどん健康オタクになって行く。
そして漂流気味の健康オタクと化している。
母の遺伝子をそっくり受け継いだのである。